・遮光

 

最近になって日射しが強くなってきた。目が眩むような強い日射しは苦手である。部屋のカーテンは開けたくない。帰宅して部屋に入ると、空気の入れ換えの為にカーテンと窓が開けられていることがある。眩しいし、自分の世界が開かれてしまったようでそわそわする。明るさに抵抗がある私には遮光カーテンはなくてはならない存在だ。

 

この本の主人公も光を遮っていた。それには理由がある。

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『遮光』中村文則

中村文則の作品は、まだ3冊しか読めていない。先日述べたように『土の中の子供』は私にとってかなりの衝撃だったが、この『遮光』という作品も侮れない。

嘘しか言わない青年は、嘘をつくことが普通だった。嘘をつくことに抵抗はなく、嘘が本当の様に口から出る。その時は特に何も考えていないようだ。そして彼は演技が上手かった。時には優しい性格の男性のように、またある時は頭の悪そうな大学生のように。振舞おうと思えばいくらでも演じられて、見破られることがなかった。周りの人間に嘘しかついてこなかったから、周りの人間は彼の本当を知らない。

しかし彼は、あることには嘘がつけなかった。それは恋人・美紀に対してだった。美紀は事故で亡くなった。それでも彼女は生きていると周りに嘘を言い続ける彼。その嘘は虚しいのに、周りの人間は気づかない。だって彼は嘘がとても上手いから。

主人公の青年が耐え切れず吐き出す美紀の死に対してのセリフは、彼が人間なんだと思えた瞬間だった。涙が出た。彼のように自分の行動も信じられなくなったら人は生きていけるのだろうか。今、頭を振ったのは演技か?あくびをしたのは演技か?咳をしたのは演技か?自分の行動まで疑い出してしまったら、きっと私は死んでしまう。狂ってしまう。彼にもその気持ちはあった。自分が自分でなくなる恐怖を彼も感じていた。しかし、傍から見れば彼は異常で、物語の終盤に向けて徐々に崩れていく。最後には...。

作品の後に作者本人による解説が載っている。そこで作者が言っていたように、主人公の彼は、あそこまでいかなければ永遠に救われなかったのだと私も思う。だから苦しい。異常者に見える彼の気持ちを読者である私たちは知っている。知っているから彼のことを異常者だなんて私は思えなかった。

ぜひこの作品を読んでもらいたい。私がおすすめする本はたくさんあるけれど、中村文則の作品はどれも素晴らしい。(何度も言う。まだ3冊しか読んでいない。)

 

ところで、私は本を選ぶ時にあらすじを読んで決めることが多い。最近手に取る本は芥川賞受賞作が多い。意識はしてないのだけど。芥川龍之介が好きだからかな、と思ったり思わなかったりしている。今読んでいる新書もかなり興味深い。好きな養老孟司の新書だ。ぜひ紹介したい。

 

 

・土の中の子供

暗闇の中、男の荒い息が聞こえてくる。必死に逃げ道を探しているが、取り囲まれてもう逃げ道がない。自分を照らすバイクのライト、鉄パイプを持つ姿も見える。まとわりつく汗が鬱陶しい。息はまだ乱れたまま。

目の前に映像が見える様な描写に惚れ惚れしてしまう。
取り囲まれた男がこの先どうなってしまうのか。鉄パイプや、男1人に対して大人数が居る構図からして、少なくとも明るい展開になることはないと予想出来る。鳩尾がずんと重くなる様な緊迫感、焦燥感を感じる。

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『土の中の子供』中村文則

何気なく手にしたこの本は、今後の私の人生において欠かせない1冊になった。大事にしたい本に出会うことはなかなかない。私は本を読むのが多くて月に10冊ほどであるし、1年間読んだとしても120冊程度である。そして世の中には数え切れないほどの書籍が存在しているから、出会う確率はほんの僅かだ。そんななか出会ったこの本。私の為にある本だと感じた。この作品は第133回芥川賞受賞作でもある。
主人公は親に捨てられ、孤児となり、親戚の家に預けられるが日常的に虐待を受けて育った。拷問の様に人の精神を蝕む虐待だ。(虐待に重いも軽いもないが。)
私は虐待をされたこともなく、思い返せば、両親に頭をぶたれるとか手を出されたことが殆ど無い。だから彼に共感することはなかったが、彼が生きていることにこんなに感動するのは何故なんだろうか。
表紙からも読み取れるように、この物語は暗い。「彼は光が入らない世界で倒れている。パッと見ただけでは生きているのか死んでいるのか分からない。胸が上下することでようやく生きているんだと認識出来た。」そんな印象がある本だ。表紙の黒い靄のような塊から滲み出る黒い筋。涙なのか、陰鬱とした記憶なのか、現在生きているなかで感じている気持ちなのか。どうしようもなく溢れる何かがこの本にはある。読んでいて痛い。心が身体が痛い。逃げられない。こんな辛さに向き合うなんて出来ない、逃げたくなる。それでも彼は生きていて、そんな彼の生き様に涙が出る。

何も上手く言えないのだが、この本の暗闇は光でもあるのだ。彼が何処かで生きていると思うと、私は明日も生きていこうと思える。(もちろんフィクションであるから、彼はいないんだけど。)

“そういう時、彼は自分に言い聞かせるように「それじゃあ思うつぼだよ」と言うことがあった。「不幸な立場が不幸な人間を生むなんて、そんな公式、俺は認めないぞ。それじゃあ、あいつらの思う通りじゃないか」”

主人公と孤児院で暮らした少年の言葉だ。小説内でも書いてあるが「あいつら」とは自分の親などではなくて、世界的な、大きな何かを指している。こんなに逆らって、負けないように這いつくばって生きてる少年少女が居る。自分の甘さを実感すると同時に、生きることを教わった。生きたい。生きたい。どうしても。死にたくない。是非手に取って欲しい作品である。


・きらきらひかる


中学、高校と6年間を女子校で過ごし、女子大に入学して3年目になる。私の学びの場には、男子生徒は居ない。居たのは小学校の6年間のみである。男性が嫌いとか、女性が好きだとかそういう理由はない。何故女子校を選択してきたのかと問われれば、迷ってしまう。女子校だから、という理由は無くて、学校の雰囲気や、大学に関しては就職率が大きく影響している。私は少し現実主義な一面がある。

将来的には10年間女子校で過ごすことになる。今まで、自分が女性であるということに苛立ちを覚えたことがあった。中学、高校時代は特に、女性ということに誇りを持ち、これからは女性が世界を変える、自分もその一員であることの意識を持て、という教えがあったように思う。マララさんや、マザーテレサなど世界で活躍した女性を授業で紹介された。就職という点に関しても「まぁ、女性だからね。事務職で良いんじゃない?」というような雰囲気がある。ある程度の給料が貰える事務職に就いて、何年かしたら結婚して、退職して専業主婦になる、そんな人生設計が素晴らしい、と。
何故?どうして女性だから適当な事務職に就いて、適当なお金を貰って満足するのか。何故結婚を前提に人生を考えているのか。それが素晴らしいのか。事務職を批判している訳では無い。女だから、という理由が嫌なのだ。知り合いと話していると「女ってそうだよね。」という批判を受けることがある。彼は特別意識して言っている訳ではないだろうし、実際彼の人生の中ではそういう女性が大半だったのかもしれない。しかし、女性か男性かという性別だけで二分されることが心底不快である。
そのような思いがあり、私は「女性だから」と言われるのに少し抵抗を持ち、女性らしいと言われる映画やドラマ、小説、歌などに否定的だった。「出産は女性しか出来ないから女性は素晴らしい」とコメントするママタレントと呼ばれる人達や女子高生たちが好きな、恋人に震えるほど会いたいという内容の歌や、それを歌う歌手などを目にしたり耳にしたりすると苛立った。所謂「女の子が好きそうだよね」と言われる物に近寄りたくなかったのだ。

そんな中で、私の意識を変えさせてくれた小説が2冊ある。今回はその内の1冊を紹介したい。
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きらきらひかる江國香織

江國香織の小説を読んだのはこれが初めてである。作者が女性であり、恋愛小説となると、例の「女の子が好きそうだよね」という部類に入るのではないかと、避けて通ってきた。しかしこの作品は、女性だからこそ感じる痛みや苦しみ、喜びが詰まっていた。ある夫婦の物語である。夫婦、交互の目線で綴られる文章は自然で軽やかで暗いのにきらきらしていて、どこか星空のようだ。たまに曇り空でそこに昨日まで星があったのにと、不安にかられるような文章である。夫婦という関係性、子どもを産むか産まないか、義父母との接し方。体験したことが無いのに、自分のことのように感じるのは何故だろう。それはきっと、妻である笑子の苛立ちや苦しみが“女性だから”分かる気がするからなのだと思う。
そうそう。この本を気に入ったのは妻である笑子のことが気に入ったというところも大きい。笑子は“異常ではない範囲内”で精神を病んでいる。作中でも情緒不安定で、大声で顔をぐしゃぐしゃにしながら大泣きすることが何度かあった。その女性の名前が「笑子」なのだ。なんという皮肉だろう。陽気に笑うことなんて難しい、泣いていることの方が多いくらいなのに。そのアンバランスさに惹かれる。
この作品で、女性であることを少し前向きに捉えられた気がする。といっても「女性だから」と判断されることに少し対抗はある。しかし私は生活のなかで自分が「女性だから」という部分に甘えてきたところもあり、理にかなっていないと言われれば反省せざるを得ない。

生きていくことは難しいな、と思う。女性だから男性だから。私が感じたように、男性にも「男だから」という制約を窮屈に感じている人が絶対に居ると思うのだ。ジェンダー問題は果てしない。性別なんかで判断しないでみんな認め合える世界ならどんなに楽なんだろう。女性だけど、一家の大黒柱。男性だけど、泣き虫。何が変なんだろう。

この小説で私は自分が女性であることに少し自信が持てたし喜びも感じた。女性が書いた文章の感性や、繊細な描写が美しい。是非「男だから」ということで窮屈に感じている男性にもこの小説を読んでもらいたい。少しでも興味を持ってもらえたのなら、この青く美しい表紙の本を手に取ってもらいたい。



・ショーシャンクの空に


彼と出会ったのは『ショーシャンクの空に』という名作映画だった。この映画を観たのは高校3年生か大学1年生とかそのくらいだった。もうすぐで日付が変わるという時間帯に、リビングのソファでごろごろしながら眠気眼でぼんやりとNHKのBS放送を眺めていた。プレミアムシネマといって、名作や過去の作品を放送するプログラムだった。その日放送されるのが『ショーシャンクの空に』だったのだ。
作品名くらいは聞いたことがある、という印象だった。もちろん当時からこの作品は名作と呼ばれていて、多くのファンがいた。既にモーガン・フリーマンだって超超超有名人だったが、全く注目していなかった私は無知だった。
映画は始まり、夜の暗闇、ウィスキーを飲んでどうやら泥酔状態のアンディーが映る。車には拳銃が見える。泣いているのか?何かに後悔しているのか?決意を固めているのか?
そこからもう、この映画の虜だった。これから彼にどんなことが起こるのか、 気になって仕方がない。眠気眼はすぐに覚めた。
場面が刑務所に移ると、さらに引き込まれる。そう。モーガン・フリーマン演じるレッドの登場だ。レッドの佇まい。何も喋らずとも彼のオーラが私を惹きつける。その口に浮かべた笑みは、優しいのか、はたまた悪事を思い付いたのか。
長年服役しているレッドは「調達屋」として刑務所の立場を確立していた。当時の私は、刑務所=犯罪者の集まる場所、つまり刑務所にいる人はみんな悪い人という考えしかなかった。受刑者の人間性を知ろうともしていなかったのだ。もちろん、刑務所に入っているのだから罪を犯した者達には違いないのだが。彼らも人間であり、刑務所は一つの社会、コミュニティであり、そこには暮らしがある。自分と離れた場所であるからといって、彼らの人間性すら見落とす私はなんと浅はかなのか!!受刑者一人一人は性格や好みが違う。犯罪を犯さなければ、自分と同じ、ただの人間である。レッドの周りにいる個性溢れる受刑者にも注目して頂きたい。
映画は進んでいく。アンディーやレッドを中心に、この刑務所では色んなことが起こる。それはもうここには書ききれない程に。その一つ一つに心底恐怖を感じ、哀しみを抱き、苛立ちを覚えた。映画の時代背景も影響しているだろうが、ショーシャンク刑務所は本当に劣悪だ。
そして忘れてはならない、超重要人物がブルックスだ。彼が出所してからの生活は絶対に観た人の心に刻まれると断言する。彼の不安や、困惑、悲痛、どれも手に取るように、そこにある。彼の生活は現代でも問題視しなければならないのではないかと感じている。
あぁ。レッド。彼を演じるにはモーガン・フリーマン以外考えられない。あの雰囲気、話し方、目線。この映画の中でモーガン・フリーマンは間違いなくレッド本人だった。モーガン・フリーマンを語るには長くなってしまうので、また次回。
この映画は私の世界を大きく変えた。革命を起こした。誰にも胸を張って勧められる作品だ。まだ観てない貴方は、損をしてる。
犯罪は犯してはいけない。しかし犯罪を犯した者も人間だ。自分と同じ人間だ。もしかしたら自分より賢い人間なのかもしれない。そう思うと、自分の背中が丸まる気がする。胸を張って歩くにはどうしたらいいか、考える日々が続く。


レッドの仮釈放の為の最後の面接より。
“後悔しない日などない。罪を犯したその日からだ。あの当時の俺は1人の男の命を奪ったバカな若造だった。彼と話したい。まともな話をしたい。今の気持ちとか...でもムリだ。彼はとうに死にこの老いぼれが残った。罪を背負って。更生? 全く意味のない言葉だ。不可の判を押せ。これは時間のムダだ。正直言って仮釈放などどうでもいい”

貴方は何を感じるだろうか。

・何度でもオールライトと歌え

大好きなロックバンドASIAN KUNG-FU GENERATIONのボーカルは後藤正文、通称ゴッチ(Gotch)とよばれている。
 
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『何度でもオールライトと歌え』後藤正文

 
大好きなアジカンのゴッチが本を出すということで、もちろん買いました。読みました。
アジカンの楽曲を聴いていると、こんなに素敵なメロディーを生み出せるなんて彼は天才だな!と思うのですが、彼は文才もありますよね。公式サイトに載っていた日記は単純に読んでいて面白いから、よく読んでいました。
私がアジカンを特に好きになったのはつい最近ですから、アジカンについて、後藤正文さんについて知っていることはほんの少しです。この本では、政治について、音楽について、日常について色んなことが綴ってあります。まぁ日記だからね。当たり前か。私が日記を書いたら、今日は食べ過ぎた、パンが美味しかった、プリンが食べたい、課題が終わらなくて辛い、友達と久々に会うのが嬉しい等々...実にくだらない文になっているはず。まぁ、そんなことはどうでもよくて。
彼の意見に賛成する部分も反対する部分もありました。全ての意見に反対があるのは当然のことで。特に政治に関しては反対に感じることも多かったです。でも彼は色んなことに興味を持って、勉強している。S〇ALDsの方も世間にかなり貶されたりしてますが、何クソって気持ちで底辺な偏差値の高校から国立の大学に行かれましたよね。勉強は、本当に人を変えると思います。だからこそ私は教育に興味があるし、先生には永遠の憧れを抱いている。中には最悪な先生が居ることももちろん分かっておりますが。
また話が逸れてしまいました。批判も賛成もあることは当たり前ですよね。でも自分の意見をそれで消してしまうか、勉強して根拠を持って確立していくかにはかなり大きな人間性の差が出ると思うのです。だからゴッチはすごい。そして文章が面白い。
 
先日、法律科の友人と話したからかも知れませんが政治についてもっと知らなければならないことがたくさんあると実感しました。飲んでいて政治の話ばかりしてしまうのは傍から見ればつまらないかもしれませんが(笑)私の政治についての知識はもう、選挙権あるのが不思議だよね?!というくらいなもので、戦争は嫌だなー、憲法改正は別に良いんじゃないかなー、野党がダメだから迷いようが無いなーとかそんなものです。お恥ずかしい。
お恥ずかしい、と思い、とりあえず経済学の本を手に取ってみました。
 
勉強の歩みを止めては行けない!
両手に愛とナイフを持って、筆で剣と交わって、辛くなったらオールライトと歌いましょう。All right part2のえっちゃんパート、練習しときます。
 
 

・また一つ生まれる

 
非常に残念なニュースだ。女子中学生2人が手を繋ぎ、線路に飛び込んだ。13歳だったらしい。
 
幼い命と言ってもいいのだろうか。悩む。“もう中学生なんだから”とか“中学生なんだからしっかりしなさい”とか子どもから大人にならなきゃと日々言われていたのではないかとも思う。もちろん13歳は幼いけれど、大人な気もする。
13年の人生の中で、たくさんの嬉しいことや苦しいことを経験したんだろう。線路に飛び込もうと決めた時、たまりに溜まった辛く苦しい気持ちが心から溢れ出てしまったのかもしれない。
 
あなた達がどれだけ苦しい悲しい思いを背負っていたのかは知らない。分からない。2人で繋いだ手がどんな意味を持っていたのかも、縋り合うように2人は共存し合っていたのかもしれない。死が怖くて手を取り合い震えていたのかもしれない。ただなんとなく死にたかっただけなのかもしれない。私には分からないけれど。
勿体ないと確実に伝えることが出来る。
 
私なんかにも死にたいと思ったことはある。祖父から無言電話が毎日毎日家にかかってきて、両親が精神的に参っていた時や、姉の問題で両親と姉が毎晩怒鳴り合い怖くて震えていた時。祖父が亡くなって、もう自分と家族が悩まされることが無くなったと自分がホッとしていると気付いた時。
死にたくなった。でも死ぬ勇気も無かったし、いつも友人や先輩、後輩が居た。悩みを吐き出せば、こんな私にも言葉をかけてくれた。何度も何度も救われた。“大丈夫?”というたったそれだけで救われたんだ。
死のうと思った後に、大好きな人に出会って、苦しいくらいに鼓動が速まったことや、飛び上がるほど嬉しいこともあった。
 
だから勿体ないんだ。
13歳で、本気の恋をしただろうか。二日酔いの後の味噌汁の美味しさを知ってるだろうか。タバコを吸ってむせただろうか。まだ経験したことのないくだらないようで素敵なことがあっただろう。
 
 
私だって毎日些細なことに感情を振り回されて生きている。情けないくらいに。
困ったら、死にたくなったら、兎に角声をあげて欲しい。絶対に誰かがいる。ネットの中の人だったり、学校の先生かもしれないし、隣の家のおばさんかもしれない。でも絶対に誰かいる。それを忘れないで欲しい。それだけで、死は遠のいて行く気がするんだ。
 
悔しいくらいにあなた達のことを人は忘れていく。毎日新しい命が生まれて、一方で消えていく。自分の生活で手一杯になっていく。それでも、私はあなた達を忘れないよ。
 
 
 
 

・喜嶋先生の静かな世界


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『喜嶋先生の静かな世界』森博嗣

自分が1番勉強をした時期はいつ頃なのか。私は高校3年生だ。特に英語の担当の先生が学校一厳しい方だったから、それこそ寝る間も惜しんで予習復習に時間をかけていたし、授業中も眠気なんて吹っ飛ぶほど緊張、集中していた。今思えばあの頃の知識が大学に入学してからも生かされ、英語の成績はSしかとっていないし1番上のクラスで学ぶことが出来た。そして何よりも自分の思い出として輝いている。あの頃に書き殴ったノートは捨てられないし、参考書も捨てられない。自分の情熱が残っている気がするのだ。

この本の主人公は橋場という男性で国立大学の理系に進み、研究に打ち込む。そこで喜嶋先生に出会う。これは読んでいけば気付くと思うが、著者の自伝的作品だ。著者が普段思っていること、研究に対しての思いがフワッと軽く、しかし大事な言葉で綴られている。淡々と物語は進んでいく。最後まで「研究」という情熱の難しさを際立たせながら。そして最後の2ページはミステリー作家の作品に相応しく、少し謎めいている。だからこそ心に余計に残るのかもしれない。

私を含めた学生は、きちんと勉学に向き合っているのだろうか。1日17時間を費やしたいと思う情熱を、好奇心を、向上心を持っているのだろうか。私は持っていない。しかしそれは大変残念で勿体ないということに気付いた。この本に出会ったからだ。
残された時間、私は絶対に無駄にしない。大人になる為に、成長する。教養を身に付ける。学生で居られるのは、あと2年しかないのだから。