・きらきらひかる


中学、高校と6年間を女子校で過ごし、女子大に入学して3年目になる。私の学びの場には、男子生徒は居ない。居たのは小学校の6年間のみである。男性が嫌いとか、女性が好きだとかそういう理由はない。何故女子校を選択してきたのかと問われれば、迷ってしまう。女子校だから、という理由は無くて、学校の雰囲気や、大学に関しては就職率が大きく影響している。私は少し現実主義な一面がある。

将来的には10年間女子校で過ごすことになる。今まで、自分が女性であるということに苛立ちを覚えたことがあった。中学、高校時代は特に、女性ということに誇りを持ち、これからは女性が世界を変える、自分もその一員であることの意識を持て、という教えがあったように思う。マララさんや、マザーテレサなど世界で活躍した女性を授業で紹介された。就職という点に関しても「まぁ、女性だからね。事務職で良いんじゃない?」というような雰囲気がある。ある程度の給料が貰える事務職に就いて、何年かしたら結婚して、退職して専業主婦になる、そんな人生設計が素晴らしい、と。
何故?どうして女性だから適当な事務職に就いて、適当なお金を貰って満足するのか。何故結婚を前提に人生を考えているのか。それが素晴らしいのか。事務職を批判している訳では無い。女だから、という理由が嫌なのだ。知り合いと話していると「女ってそうだよね。」という批判を受けることがある。彼は特別意識して言っている訳ではないだろうし、実際彼の人生の中ではそういう女性が大半だったのかもしれない。しかし、女性か男性かという性別だけで二分されることが心底不快である。
そのような思いがあり、私は「女性だから」と言われるのに少し抵抗を持ち、女性らしいと言われる映画やドラマ、小説、歌などに否定的だった。「出産は女性しか出来ないから女性は素晴らしい」とコメントするママタレントと呼ばれる人達や女子高生たちが好きな、恋人に震えるほど会いたいという内容の歌や、それを歌う歌手などを目にしたり耳にしたりすると苛立った。所謂「女の子が好きそうだよね」と言われる物に近寄りたくなかったのだ。

そんな中で、私の意識を変えさせてくれた小説が2冊ある。今回はその内の1冊を紹介したい。
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きらきらひかる江國香織

江國香織の小説を読んだのはこれが初めてである。作者が女性であり、恋愛小説となると、例の「女の子が好きそうだよね」という部類に入るのではないかと、避けて通ってきた。しかしこの作品は、女性だからこそ感じる痛みや苦しみ、喜びが詰まっていた。ある夫婦の物語である。夫婦、交互の目線で綴られる文章は自然で軽やかで暗いのにきらきらしていて、どこか星空のようだ。たまに曇り空でそこに昨日まで星があったのにと、不安にかられるような文章である。夫婦という関係性、子どもを産むか産まないか、義父母との接し方。体験したことが無いのに、自分のことのように感じるのは何故だろう。それはきっと、妻である笑子の苛立ちや苦しみが“女性だから”分かる気がするからなのだと思う。
そうそう。この本を気に入ったのは妻である笑子のことが気に入ったというところも大きい。笑子は“異常ではない範囲内”で精神を病んでいる。作中でも情緒不安定で、大声で顔をぐしゃぐしゃにしながら大泣きすることが何度かあった。その女性の名前が「笑子」なのだ。なんという皮肉だろう。陽気に笑うことなんて難しい、泣いていることの方が多いくらいなのに。そのアンバランスさに惹かれる。
この作品で、女性であることを少し前向きに捉えられた気がする。といっても「女性だから」と判断されることに少し対抗はある。しかし私は生活のなかで自分が「女性だから」という部分に甘えてきたところもあり、理にかなっていないと言われれば反省せざるを得ない。

生きていくことは難しいな、と思う。女性だから男性だから。私が感じたように、男性にも「男だから」という制約を窮屈に感じている人が絶対に居ると思うのだ。ジェンダー問題は果てしない。性別なんかで判断しないでみんな認め合える世界ならどんなに楽なんだろう。女性だけど、一家の大黒柱。男性だけど、泣き虫。何が変なんだろう。

この小説で私は自分が女性であることに少し自信が持てたし喜びも感じた。女性が書いた文章の感性や、繊細な描写が美しい。是非「男だから」ということで窮屈に感じている男性にもこの小説を読んでもらいたい。少しでも興味を持ってもらえたのなら、この青く美しい表紙の本を手に取ってもらいたい。



・ショーシャンクの空に


彼と出会ったのは『ショーシャンクの空に』という名作映画だった。この映画を観たのは高校3年生か大学1年生とかそのくらいだった。もうすぐで日付が変わるという時間帯に、リビングのソファでごろごろしながら眠気眼でぼんやりとNHKのBS放送を眺めていた。プレミアムシネマといって、名作や過去の作品を放送するプログラムだった。その日放送されるのが『ショーシャンクの空に』だったのだ。
作品名くらいは聞いたことがある、という印象だった。もちろん当時からこの作品は名作と呼ばれていて、多くのファンがいた。既にモーガン・フリーマンだって超超超有名人だったが、全く注目していなかった私は無知だった。
映画は始まり、夜の暗闇、ウィスキーを飲んでどうやら泥酔状態のアンディーが映る。車には拳銃が見える。泣いているのか?何かに後悔しているのか?決意を固めているのか?
そこからもう、この映画の虜だった。これから彼にどんなことが起こるのか、 気になって仕方がない。眠気眼はすぐに覚めた。
場面が刑務所に移ると、さらに引き込まれる。そう。モーガン・フリーマン演じるレッドの登場だ。レッドの佇まい。何も喋らずとも彼のオーラが私を惹きつける。その口に浮かべた笑みは、優しいのか、はたまた悪事を思い付いたのか。
長年服役しているレッドは「調達屋」として刑務所の立場を確立していた。当時の私は、刑務所=犯罪者の集まる場所、つまり刑務所にいる人はみんな悪い人という考えしかなかった。受刑者の人間性を知ろうともしていなかったのだ。もちろん、刑務所に入っているのだから罪を犯した者達には違いないのだが。彼らも人間であり、刑務所は一つの社会、コミュニティであり、そこには暮らしがある。自分と離れた場所であるからといって、彼らの人間性すら見落とす私はなんと浅はかなのか!!受刑者一人一人は性格や好みが違う。犯罪を犯さなければ、自分と同じ、ただの人間である。レッドの周りにいる個性溢れる受刑者にも注目して頂きたい。
映画は進んでいく。アンディーやレッドを中心に、この刑務所では色んなことが起こる。それはもうここには書ききれない程に。その一つ一つに心底恐怖を感じ、哀しみを抱き、苛立ちを覚えた。映画の時代背景も影響しているだろうが、ショーシャンク刑務所は本当に劣悪だ。
そして忘れてはならない、超重要人物がブルックスだ。彼が出所してからの生活は絶対に観た人の心に刻まれると断言する。彼の不安や、困惑、悲痛、どれも手に取るように、そこにある。彼の生活は現代でも問題視しなければならないのではないかと感じている。
あぁ。レッド。彼を演じるにはモーガン・フリーマン以外考えられない。あの雰囲気、話し方、目線。この映画の中でモーガン・フリーマンは間違いなくレッド本人だった。モーガン・フリーマンを語るには長くなってしまうので、また次回。
この映画は私の世界を大きく変えた。革命を起こした。誰にも胸を張って勧められる作品だ。まだ観てない貴方は、損をしてる。
犯罪は犯してはいけない。しかし犯罪を犯した者も人間だ。自分と同じ人間だ。もしかしたら自分より賢い人間なのかもしれない。そう思うと、自分の背中が丸まる気がする。胸を張って歩くにはどうしたらいいか、考える日々が続く。


レッドの仮釈放の為の最後の面接より。
“後悔しない日などない。罪を犯したその日からだ。あの当時の俺は1人の男の命を奪ったバカな若造だった。彼と話したい。まともな話をしたい。今の気持ちとか...でもムリだ。彼はとうに死にこの老いぼれが残った。罪を背負って。更生? 全く意味のない言葉だ。不可の判を押せ。これは時間のムダだ。正直言って仮釈放などどうでもいい”

貴方は何を感じるだろうか。

・何度でもオールライトと歌え

大好きなロックバンドASIAN KUNG-FU GENERATIONのボーカルは後藤正文、通称ゴッチ(Gotch)とよばれている。
 
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『何度でもオールライトと歌え』後藤正文

 
大好きなアジカンのゴッチが本を出すということで、もちろん買いました。読みました。
アジカンの楽曲を聴いていると、こんなに素敵なメロディーを生み出せるなんて彼は天才だな!と思うのですが、彼は文才もありますよね。公式サイトに載っていた日記は単純に読んでいて面白いから、よく読んでいました。
私がアジカンを特に好きになったのはつい最近ですから、アジカンについて、後藤正文さんについて知っていることはほんの少しです。この本では、政治について、音楽について、日常について色んなことが綴ってあります。まぁ日記だからね。当たり前か。私が日記を書いたら、今日は食べ過ぎた、パンが美味しかった、プリンが食べたい、課題が終わらなくて辛い、友達と久々に会うのが嬉しい等々...実にくだらない文になっているはず。まぁ、そんなことはどうでもよくて。
彼の意見に賛成する部分も反対する部分もありました。全ての意見に反対があるのは当然のことで。特に政治に関しては反対に感じることも多かったです。でも彼は色んなことに興味を持って、勉強している。S〇ALDsの方も世間にかなり貶されたりしてますが、何クソって気持ちで底辺な偏差値の高校から国立の大学に行かれましたよね。勉強は、本当に人を変えると思います。だからこそ私は教育に興味があるし、先生には永遠の憧れを抱いている。中には最悪な先生が居ることももちろん分かっておりますが。
また話が逸れてしまいました。批判も賛成もあることは当たり前ですよね。でも自分の意見をそれで消してしまうか、勉強して根拠を持って確立していくかにはかなり大きな人間性の差が出ると思うのです。だからゴッチはすごい。そして文章が面白い。
 
先日、法律科の友人と話したからかも知れませんが政治についてもっと知らなければならないことがたくさんあると実感しました。飲んでいて政治の話ばかりしてしまうのは傍から見ればつまらないかもしれませんが(笑)私の政治についての知識はもう、選挙権あるのが不思議だよね?!というくらいなもので、戦争は嫌だなー、憲法改正は別に良いんじゃないかなー、野党がダメだから迷いようが無いなーとかそんなものです。お恥ずかしい。
お恥ずかしい、と思い、とりあえず経済学の本を手に取ってみました。
 
勉強の歩みを止めては行けない!
両手に愛とナイフを持って、筆で剣と交わって、辛くなったらオールライトと歌いましょう。All right part2のえっちゃんパート、練習しときます。
 
 

・また一つ生まれる

 
非常に残念なニュースだ。女子中学生2人が手を繋ぎ、線路に飛び込んだ。13歳だったらしい。
 
幼い命と言ってもいいのだろうか。悩む。“もう中学生なんだから”とか“中学生なんだからしっかりしなさい”とか子どもから大人にならなきゃと日々言われていたのではないかとも思う。もちろん13歳は幼いけれど、大人な気もする。
13年の人生の中で、たくさんの嬉しいことや苦しいことを経験したんだろう。線路に飛び込もうと決めた時、たまりに溜まった辛く苦しい気持ちが心から溢れ出てしまったのかもしれない。
 
あなた達がどれだけ苦しい悲しい思いを背負っていたのかは知らない。分からない。2人で繋いだ手がどんな意味を持っていたのかも、縋り合うように2人は共存し合っていたのかもしれない。死が怖くて手を取り合い震えていたのかもしれない。ただなんとなく死にたかっただけなのかもしれない。私には分からないけれど。
勿体ないと確実に伝えることが出来る。
 
私なんかにも死にたいと思ったことはある。祖父から無言電話が毎日毎日家にかかってきて、両親が精神的に参っていた時や、姉の問題で両親と姉が毎晩怒鳴り合い怖くて震えていた時。祖父が亡くなって、もう自分と家族が悩まされることが無くなったと自分がホッとしていると気付いた時。
死にたくなった。でも死ぬ勇気も無かったし、いつも友人や先輩、後輩が居た。悩みを吐き出せば、こんな私にも言葉をかけてくれた。何度も何度も救われた。“大丈夫?”というたったそれだけで救われたんだ。
死のうと思った後に、大好きな人に出会って、苦しいくらいに鼓動が速まったことや、飛び上がるほど嬉しいこともあった。
 
だから勿体ないんだ。
13歳で、本気の恋をしただろうか。二日酔いの後の味噌汁の美味しさを知ってるだろうか。タバコを吸ってむせただろうか。まだ経験したことのないくだらないようで素敵なことがあっただろう。
 
 
私だって毎日些細なことに感情を振り回されて生きている。情けないくらいに。
困ったら、死にたくなったら、兎に角声をあげて欲しい。絶対に誰かがいる。ネットの中の人だったり、学校の先生かもしれないし、隣の家のおばさんかもしれない。でも絶対に誰かいる。それを忘れないで欲しい。それだけで、死は遠のいて行く気がするんだ。
 
悔しいくらいにあなた達のことを人は忘れていく。毎日新しい命が生まれて、一方で消えていく。自分の生活で手一杯になっていく。それでも、私はあなた達を忘れないよ。
 
 
 
 

・喜嶋先生の静かな世界


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『喜嶋先生の静かな世界』森博嗣

自分が1番勉強をした時期はいつ頃なのか。私は高校3年生だ。特に英語の担当の先生が学校一厳しい方だったから、それこそ寝る間も惜しんで予習復習に時間をかけていたし、授業中も眠気なんて吹っ飛ぶほど緊張、集中していた。今思えばあの頃の知識が大学に入学してからも生かされ、英語の成績はSしかとっていないし1番上のクラスで学ぶことが出来た。そして何よりも自分の思い出として輝いている。あの頃に書き殴ったノートは捨てられないし、参考書も捨てられない。自分の情熱が残っている気がするのだ。

この本の主人公は橋場という男性で国立大学の理系に進み、研究に打ち込む。そこで喜嶋先生に出会う。これは読んでいけば気付くと思うが、著者の自伝的作品だ。著者が普段思っていること、研究に対しての思いがフワッと軽く、しかし大事な言葉で綴られている。淡々と物語は進んでいく。最後まで「研究」という情熱の難しさを際立たせながら。そして最後の2ページはミステリー作家の作品に相応しく、少し謎めいている。だからこそ心に余計に残るのかもしれない。

私を含めた学生は、きちんと勉学に向き合っているのだろうか。1日17時間を費やしたいと思う情熱を、好奇心を、向上心を持っているのだろうか。私は持っていない。しかしそれは大変残念で勿体ないということに気付いた。この本に出会ったからだ。
残された時間、私は絶対に無駄にしない。大人になる為に、成長する。教養を身に付ける。学生で居られるのは、あと2年しかないのだから。


・ASIAN KUNG-FU GENERATION

 
初めて聞いた曲は暗号のワルツ。
アジカン〟という名前は知っていた小学6年生の時、姉がTSUTAYAで借りてきたアルバム、ファンクラブを聴いたのだった。
暗い歌ばっかだな~という印象だったが、ブラックアウトや桜草、路地裏うさぎ、どの曲も初めて出会った旋律、歪んだギター、太いベース音に胸が高鳴った。その頃の少し前に出会って、歌詞とメロディーに惹かれたBUMP OF CHICKENとはまた違ったかっこよさを感じたのだ。
 
そして現在。毎日アジカンを聴いている。
友人がとてつもなくアジカンが好きなのだ。彼とカラオケに行くと必ずアジカンの歌を5曲は歌ってくれる。このカラオケで出会った曲は数多い。最近のお気に入りアルバムはマジックディスクだ。マイクロフォン、サンライズ、橙、イエスが特に好きだ。彼に伝えたところ、「橙は俺も好き。マイクロフォンのメロディー好きだけど、歌詞は意味が分からない。」と返答があった。私は歌詞のあまのじゃくな感じも好きなんだけどな。
彼のお陰で出会えた、すごくかっこいいアジカンの曲に今年はずっと支えられている。飛び上がるほど嬉しい日、悔しくてたまらない日、悲しくて大泣きした日、イラついて何もしたくない日、どんな日でも私の温度を上げてくれる。歪んだギターや、低いのに高音が美しくて切なさを表現るのにぴったりな声であるとか、すべて私らしさを持ってきてくれる音楽なのだ。ありがとう。お陰でどんな事があっても寝る前には明日に希望を抱いている私がいる。
 
〝涙が落ちて 海に注いで 何時しか空まで戻るような 何一つ残らなくたって 君が笑えば それで雨が上がって 頬が乾いて その跡に虹が架かるようなそんな時を想って どうか君よ 笑って〟
 
さぁ明日も笑うんだ。
 
 

・火花


芸人が書く小説を舐めていた訳では無い。世の中の売れている芸人は頭の回転が早く、話は面白いし、書いてる文章も面白い。オードリーの若林が書いているダ・ヴィンチの連載が好きでハードカバーの初版を買ったこともある。ピースの又吉はNHKの経済を扱う番組で度々目にしていたし、彼のコメントを聞いて、この人は頭がいいんだなとも思っていた。また読書家という面も彼のイメージを強くしているのではないだろうか。本を執筆するということに対して、彼にかかる周りからのプレッシャーは凄いものだったのではないだろうか。「本を沢山読んできたといっても書くのは下手でしょ。」とか「芸人が小説?作家を舐めるなよ。」というような否定的な意見もあったのではないだろうか。しかしこの『火花』は周知の事実であるように芥川賞を受賞し、映像化もされる。実に高い評価を受けたのだ。否定的な意見を言っていた人達に、してやったりの顔を出来るはずだ。
受賞してから随分経ってしまったが、今日『火花』を読了した。芥川賞の選考基準は分からないが、率直に良い作品だと思った。些細な表現が実に上手い。場面が目に浮かぶようだった。冒頭述べたように舐めていた訳では無いが、驚いた。すごい才能だ。

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この本は芸人の話だ。ご存知のように又吉直樹の本職は芸人である。芸人が書く芸人の話だ。そして芸人の彼だからこそ書ける芸人の話なのだ。本職が小説家であったら書けない話である。芸人という自分は将来絶対にならないと言える職業の裏側。自分の笑いを信じて、自分のセンスに人生をかけている。芸人は、人を笑わせるからおちゃらけた人に見える。でも実はとても熱い人間なんだと感じた。自分のセンスだけで闘うというのは、強い心が無ければ無理だ。芸人の間には今日も見えない火花が散っているはずだ。自分のセンスが認められれば売れる、つまらないなら売れないという簡単な仕組みだからこそ本気の闘いだ。その本気の火花の美しさを見られるような、そんな小説である。

エジソンが発明したのは闇〟
エジソンが発明したのは暗い地下室〟
このちょっとクスッとするようなサラッとしたユーモアが忘れられない。明るさを手に入れたが為に闇の存在が顕著になった。又吉直樹の頭の中を覗いてみたくなるようなそんな一言だった。
お暇があれば是非読んでみて欲しい。