・土の中の子供

暗闇の中、男の荒い息が聞こえてくる。必死に逃げ道を探しているが、取り囲まれてもう逃げ道がない。自分を照らすバイクのライト、鉄パイプを持つ姿も見える。まとわりつく汗が鬱陶しい。息はまだ乱れたまま。

目の前に映像が見える様な描写に惚れ惚れしてしまう。
取り囲まれた男がこの先どうなってしまうのか。鉄パイプや、男1人に対して大人数が居る構図からして、少なくとも明るい展開になることはないと予想出来る。鳩尾がずんと重くなる様な緊迫感、焦燥感を感じる。

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『土の中の子供』中村文則

何気なく手にしたこの本は、今後の私の人生において欠かせない1冊になった。大事にしたい本に出会うことはなかなかない。私は本を読むのが多くて月に10冊ほどであるし、1年間読んだとしても120冊程度である。そして世の中には数え切れないほどの書籍が存在しているから、出会う確率はほんの僅かだ。そんななか出会ったこの本。私の為にある本だと感じた。この作品は第133回芥川賞受賞作でもある。
主人公は親に捨てられ、孤児となり、親戚の家に預けられるが日常的に虐待を受けて育った。拷問の様に人の精神を蝕む虐待だ。(虐待に重いも軽いもないが。)
私は虐待をされたこともなく、思い返せば、両親に頭をぶたれるとか手を出されたことが殆ど無い。だから彼に共感することはなかったが、彼が生きていることにこんなに感動するのは何故なんだろうか。
表紙からも読み取れるように、この物語は暗い。「彼は光が入らない世界で倒れている。パッと見ただけでは生きているのか死んでいるのか分からない。胸が上下することでようやく生きているんだと認識出来た。」そんな印象がある本だ。表紙の黒い靄のような塊から滲み出る黒い筋。涙なのか、陰鬱とした記憶なのか、現在生きているなかで感じている気持ちなのか。どうしようもなく溢れる何かがこの本にはある。読んでいて痛い。心が身体が痛い。逃げられない。こんな辛さに向き合うなんて出来ない、逃げたくなる。それでも彼は生きていて、そんな彼の生き様に涙が出る。

何も上手く言えないのだが、この本の暗闇は光でもあるのだ。彼が何処かで生きていると思うと、私は明日も生きていこうと思える。(もちろんフィクションであるから、彼はいないんだけど。)

“そういう時、彼は自分に言い聞かせるように「それじゃあ思うつぼだよ」と言うことがあった。「不幸な立場が不幸な人間を生むなんて、そんな公式、俺は認めないぞ。それじゃあ、あいつらの思う通りじゃないか」”

主人公と孤児院で暮らした少年の言葉だ。小説内でも書いてあるが「あいつら」とは自分の親などではなくて、世界的な、大きな何かを指している。こんなに逆らって、負けないように這いつくばって生きてる少年少女が居る。自分の甘さを実感すると同時に、生きることを教わった。生きたい。生きたい。どうしても。死にたくない。是非手に取って欲しい作品である。