・最近の私

職場も恋人も家族も友人もみんな優しく、嫌な人などいない。仕事も今のところ順調で毎日しっかりしなきゃと思うけれど、皆さんに助けてもらいながら進められていて、何も不自由はありません。

 

なのにも関わらず、ここ1ヶ月はずっとぼんやり死にたいと思い続けていました。幸せな毎日で幸せなのに、ずっと死にたい。ずっと泣く前の胸の真ん中辺りのジーンとした気持ちが取れなくて、困っていました。

恋人と一緒にいても死にたいと喚いて泣いたり。狂ってしまったと思いました。

ずっと死にたい。死んだおじさんの痩せ細った姿も、祖父のもう起きない姿も見ているのに。たくさんの死の悲しみを知っているのに。

健康で幸せで何不自由のない自分が死にたいと思い続けていること自体を、恥ずかしく大変に烏滸がましく思っていました。

 

色んな人に励まして貰ったり、色んな人に優しさを貰ったり。決して独りだと思ったことはなく、幸せだと思っていたけれど、誰かにとっての大切な人になれていたんだということを知ったとき、目が覚めました。

 

平気な顔でかなり無理してたこと

叫びたいのに懸命に微笑んだこと

 

誰にも分かってもらってないと独りよがりだったけれど、こんな私を知ってくれていて、尊敬してくれて、大切にしてくれた人がたくさん居ました。

 

今日聞いた課長が駅員だった頃の体験談。飲み屋の若いお姉さんが電車に飛び込んで両足首を切断したこと。当時駅員だった課長や運転手でホームに飛び降りて、太ももに必死に自分のネクタイを止血のために巻き付けたこと。それでも亡くなってしまったこと。

今でも悔やんでいるその顔を知らなかったのは私で。

 

森山直太朗が、生きてることがつらいなら悲しみをとくと知るがいい。と唄っていたけれど、くたばる喜びを知ることもこういうことなんだと分かりました。目が覚めた。

 

死というものはそこらへんに転がっているもの。病気でも事故でも自殺でも、どこにでも転がっている。でもそれを知りながらみんな生きていたんだ。ああやって死んだ人も知っていて、こうやって生きている人も知っていて。私は独りよがりだった。私は本当に独りよがりだった。

 

こんな時に助けてくれる友人や、彼は本当に偉大です。

本当に本当に本当にありがとう。