・夏の煙

実は水曜日に祖母が亡くなりました。祖母の正確な年齢が分からないくらい、祖母とは距離を置いていました。というか父方の祖父母とは距離をとっていたのです。母がいじめられていたからね。

この歳になると、昔見えなかったものが見えてくる。子供の頃見えていたことは見えなくなることと引き換えに。もう私の瞳にはトトロもネコバスも写らないのだろうと思います。それくらい大人になってしまった。というか大人になっていた、ということです。

 

さて、亡くなった祖母は10年くらい意思疏通も出来ないで、うーうー声を出すだけで、延命の手術を受けさせられてしまい、日々寝ているだけ。生かされてしまった死に損ねた呼吸する人形のような10年でした。酷い言い方だね。

それを見ているから、だから、亡くなったと連絡が来たとき、やっと死ねたんだと思ってしまったのです。

やっと、生かされる時間が終わって自分が主体の生死に戻れたんだと思ってしまった。本人がどう思っているかも分からないままに。死人に口無しなので、当たり前だけど何も聞けない。彼女は何も言わない。どう思っていたのか。もっと生きたかったか。早く死にたかったか。分からない。

しかし、彼女が亡くなった今、否応なく、彼女のDNAが私の中に流れていることを感じる。あぁ、私こんなにも好きも嫌いもした人たちの血を身体に流して生きてるのか。その血を心臓で全身に送り出しているのかと思ってしまう時間が過ぎる。

 

数年前から、人間皆、死ねばその体を覆っている皮膚を剥がせば骨だと、皆同じ形の骨だと思うようになった。それは怖いとか気持ち悪いという思いじゃない。怖いこと辛いこと、幸せなこと、嬉しいことそれらを作り出すのは皆、同じ形の人間。皆、土に帰るただの装飾された骨だと思うようになって、楽になった。死ぬことなんて怖くない。誰かの怒りも怖くない。みんな同じ形に帰るんだから。

 

明日明後日と祖母の葬儀だ。体を焼かれた人間だった骨たちの最期を見る。自分もいつかこうなると、知る時間が来る。それでもいつか思うんだ。この人と一緒に居たいと。人間って怖いね。

 

終わり。