・漣

離れてまた近づいて形を変えて、似ているとしても二度と同じ形にはならない。漣を見ていると、切ないような当たり前のような慰められているような、色んな気持ちになります。

 

自分の知らないところで語られる自分というのが、どうも苦手です。どう思われておるんだろうという恐怖が常に頭にあるから、というのが最も強い理由ですが、たまに美化されている時があることも怖いのです。そんなにすごい人間じゃないのに、私なんてゴミなのに、すごく思慮深い善人になっていることがあります。「そんなのは私じゃない」と言えれば良いですが、相手が思ったことは相手の感情なので、私が否定できるものではないという葛藤もあるのです。難しい。

 

そんな身の丈に合っていない言葉には、ありがとうとしか応えられない。自分の語彙力の少なさからも、経験の少なさからも。私は口が悪いし、根暗で、独りよがりだし、その癖に仲の良い人とはずっと一緒にいたい。相手にはそう見えていなくて、遊び人で、酒飲みで、偏差値が低くて馬鹿に思われていても私は、何も否定できない。恐怖です。

結局ずっと他人の目を気にしています。誰もお前のこと見てないよって言われたら、それはもう同意の嵐です。その通り!でも気になる。悪く思われるくらいなら、寧ろ何とも思ってもらえずに空気として扱われる方が有難い。そう思って日々生きています。

 

他の人が怖くてちょっと離れて、でも相手は優しいからちょっと近付いて、また時間が空いて離れて。まるで漣のよう。同じ距離だとしても、気持ちや心は少しずつ変化していくのでしょう。良い方にも悪い方にもどちらにでも。冷静になったらきっとみんな私が嫌い。あの幸せも要らなかったと言われるはず。そしてその時は言葉で殺されるんだと、殺される日を待っている気がします。

 

 

いつになったら気にならなくなるのかねぇ。私は頭が大丈夫かな。