・死ぬこと
やたら「死」について語ると引かれることがある。でも書いてみる。
日本以外の国はよく知らないけれど、欧米諸国は遺体を焼かずに土葬する。土葬した後に墓標を建てるのが墓のしきたりだ。墓標は様々あり、マリア、天使、十字架など様々だ。私は海外の土葬の墓がとても好きだ。
土葬に限ったことではなく、ミイラや、寺院の墓もすごく好きなのだ。
日本だと遺体は焼かれ、水分を微塵も感じさせない骨となり、墓に納められる。それは悪いことでもなんでもない。
しかし、海外の土葬においては、遺体は土のすぐ下である。死んだときの姿のまま自分のすぐ下に存在する。生きている人間はすべからく皮と肉を剥いだら、ただの骨なのだ。私も。好きなあの人も。嫌いなあいつも。みんな皮を剥げばただの骨なのだ。
海外の墓はそのことをひしひしと感じられる。そこがとても好きだ。
生きているから偉いのではない。死んだから偉いのではない。死ぬことはとても当たり前のことであり、生きることとまた、特別ではない。
ダーウィンやシェイクスピアなど、歴史名を残す人々の墓所を歩く度、泣けるほど力を知るのだった。