・昨日言えなかったこと

昨日は3月11日。東日本大地震から6年でしたね。当時私は何をしていたのか何処にいたのか何を感じていたのか、年を負うごとに記憶は薄れていきます。誰かが言っていたかもしれないし皆さん思っていることかもしれませんが敢えて、語弊を招くかもしれませんが、書きたいと思います。

 

私の誕生日は5月4日です。みどりの日とされていて所謂ゴールデンウィークの中の1日であり、多くの国民の人の休日です。その1日前の5月3日は両親の結婚記念日です。1年には(閏年を除く)365日に、誰かにとっての特別があります。どんなにくだらなくても。人生で初めてショートヘアにした日とか、初めてハイヒールを履いた日、アルバイトを始めた日、好きな人とキスをした日、入試に合格した日、たくさんたくさん特別な日があります。それは、8月6日でも8月15日でも、12月25日でも3月11日でも変わらないはずなのです。どの1日であっても誰かにとっての素晴らしい日で誰かにとっての辛く悲しい日なのです。同じ価値を同じ重さを同じ意味を持った1日なのです。それを忘れなければ償いに、祈りになるのだと思います。

 

花火は綺麗と誰かに見てもらうことで鎮魂の意味を持ちます。不謹慎でも何でもないのです。誰かが死んだ土地で子供たちが大笑いして、綿あめを食べてたこ焼きを食べて、花火の綺麗さに感動することは正しいのです。どんな土地にも血は流れ、その血の上に私たちは立ち、泣き、笑い、生きている。何をしても良いというのではないけれど、感謝を忘れず、笑えればそれが1番の未来なのではないかと思います。

 

私が死んだら、遺された人には笑っていて欲しいし、喧嘩しないで欲しい。笑って、何でもない1日としてその日を過ごして欲しいです。なかなか悲しみは消えないけれど、喜びと同じように悲しみも感情です。同じように向き合えばいつか形は変わるはずです。