・真意

 

天野貴元さんというアマチュア棋士の方をご存知でしょうか。先程、知人に勧められた彼のドキュメンタリー映像を観ました。天野さんは癌により一昨年30歳で亡くなりました。余命を宣告され、亡くなるまでの1年以上の期間をドキュメンタリーとして映像にしていました。

倒れるまで、細い身体で無理をしながら全力で将棋を指している彼の姿は、とても強かったです。月並みな感想ですが、生きるとは命を燃やすとはああいうことなのだと感じました。

 

さて私がこの映像で気になったのは、密着していたディレクターが天野さんに問い掛けた質問でした。癌が進行し、将棋を指す体力すらなく、ギリギリの状態の天野さんは、幾つものアマチュア将棋大会に挑戦するものの優勝することは出来ていませんでした。そんな彼にディレクターが「天野さんは将棋で負けていますよね。どうして…」と話し掛けますが、ここまで話した時点で、天野さんは対局に負けた悔しさのあまり泣き始めました。悔しい、悔しいと頭を抱えて泣いていました。ディレクターは泣かせる、傷付けるつもりで言ったのではないんだなと私は感じましたが、動画のコメント欄では「辛辣な質問」「どうしてこんなこと言ったんだ」等の意見が多く見られました。天野さんが泣いた時、ディレクターの「好きとか嫌いじゃ」という小さい声が聞こえました。つまり、ディレクターが言いたかったことはこうだと思います。「体調も最悪の状態であるし、負ける悔しさを感じることの方が多い。それでも尚、将棋を指し続けるのは何故なのでしょうか。単に好き嫌いだけではここまで続けられませんよね。」これがディレクターの真意だったのではないでしょうか。しかしそれはあの映像を観た多くの人々に伝わらなかったのだと私は感じました。確かに「言い方は失礼かもしれませんが」等の枕詞を添えた方が分かりやすかったかもしれません。言葉の真意を伝えるということは難しいなと思いました。

 

動物も含め生死についての記録を見たり読むことはあまりしたくありません。必ず泣いてしまうし、そこから、私も頑張らなきゃと思うことが嫌なのです。本当だったら日々生きていることを真面目に捉えて、誰かや何かの死を意識しなくとも自分の生を顧みるべきだからです。まぁいきなり「今日も生きている。これ以上幸せなことはない。」と言い始めたら怖いけれど。そんな私でも、あのドキュメンタリーは観て良かったと思いました。時間があれば是非。