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・蛍光灯と、その光

day

 

教室の蛍光灯一本が切れそうだ。チカチカと淡いながら時に強く弱く、自分の光はまだ終わらない、まだ照らせるぞとでも言いたげに光っている。隣の一本は既に切れていてひっそりと陰になっている。

 

伊坂幸太郎の『グラスホッパー』に登場する蝉は、人を殺す。殺し屋だからだ。殺し屋と聞くと自分とかけ離れているように感じるが、彼はシジミの塩抜きが好きだ。平凡な人間のよう。しかしその理由は「生きているという感じがするから」というものだった。

蛍光灯を見ながら、そんなことを思い出した。蛍光灯は生物ではないから意思もないし、感覚もない。しかしあの一本の蛍光灯の光は死にかけの人間の呼吸のように、微かだけれど繋ぎたい、そんな気持ちを思わせる。隣の既に切れている一本もまた同じ。力尽きた人間のように見える。

 

皆、生きていることを実感しながら生きているのだろうか。私のような凡人はなかなか実感する機会がないだろう。あるとしても、車に轢かれそうになったとか猛烈な腹痛に襲われたとかだろう。大体「死ぬかと思った〜」という気持ちだけで、「生きてる、私」という気持ちではないだろう。『3月のライオン』の島田は、胃痛が酷い状態の対局中、「生きてるって気がするぜ」と言う。苦しいから生きてると感じる。皆誰しもそうだと思うが痛みとか苦しみは味わいたくない。でも痛みが生きている実感をくれることがあるとこの場面を読んだ時に学んだ。よく考えれば、リストカットなどの自傷行為も同じ原理なんだろう。痛みや流れる血を見ることによって自分の生を実感する。なんという皮肉!と思うが、太陽があるから月が輝くというのと同じなのだろう。

 

LEDになればもっと長く照らすことが出来る。人間は?どうすればもっと長く生きられる?いやいや長生きは幸せか?もうちょっとで見える気がするのに。