・diary
中学、高校生の頃はノートに日記を書いていました。ノートは何冊にもなっていて、読み返すと不思議とその日のことを覚えていました。
例えば、2011年5月27日。高校1年生で、丁度中間テスト初日でした。東日本大震災から2ヶ月と少し。その日から学校のある九段下と、自宅最寄り駅のエスカレーターが震災の影響で止まっていましたが、動き出しました。その日のことも覚えています。次の日のテスト科目が現代社会で、暗記するのに必死だったこと。
2012年4月7日、8日。BUMP OF CHICKENのGOLD GLIDER Tourに2days行くことが出来たことを書いています。この日はライブで前に立っていたお兄さんに、大丈夫ですか?場所変わりますか?など、優しく話しかけて貰ったこと、一緒に行った友人のご家族が車で送り迎えして下さったこと、ガラスのブルースに感動したことを書いていましたが、全部覚えています。
2014年1月8日。初めて恋をした日。もうすぐ塾を辞めてしまう彼の連絡先をどうやって聞けば良いか悩んでいる。(笑)当時の私も今の私と変わらないな。でも教えてあげたいのは、4年後の現在もその人に恋をしていて、連絡先を知っていて、たまに会ってお酒を飲んだり映画を観たりしているってこと。あなたの見る目は間違ってないよ。
私は記憶力がよくありませんが、文字に起こしたりしていると、やはり記憶の断片というのは頭にあるようで、当時のことをよく思い出すことができますね。当時の青臭い気持ち、焦り、苦悩、喜び、色んなことが思い出されます。とても学生らしい学生だったように思います。そして、2日に1回はUVERworldやBUMP OF CHICKEN、NICO touches the Wallsの話をしていて、この頃から音楽に頼っていたんだなと強く思います。(笑)
今思うと当時好きだったバンドや作家、映画は今でも好きで、当時の好きという気持ちが現在の私の基盤になっているのかもしれません。「三つ子の魂百まで」とは本当かもしれませんね。好きなことはあまり変わっていないです。まぁさすがに3歳の頃の自分の好きなものは変わってると思うけれど。(笑)
今日も日記を書きましょう。未来の自分を笑顔に出来るような。
・ROOM
先日、ROOMという映画を観ました。アカデミー賞などで多くノミネートされていたので、ご存知の方も多いでしょう。是非!是非観て頂きたい。
以下はネタバレも含みますので、読みたくない方は無視して下さい。
誘拐され7年もの間、納屋に監禁され、性的暴行を受け、子どもを産まされたジョイ。息子ジャック5年間狭い納屋を世界の全てとして生きていました。このままじゃ外にも出られず、何も変わらないと感じたジョイは、ジャックを死んだことにして誘拐犯を騙し、助けを求めたのでした。
まず、閉じ込められた部屋を世界の全てだと思っているジャックが死体のふりをして、外に出て初めて木を見て、母と自分と犯人以外の人間を見て、初めて太陽の光を全身に浴びて、本物の世界を知ったジャックの演技が実に素晴らしいのです。母と自分を救うために懸命に助けを求めるジャックの恐怖や、ジャックに思いを託す母ジョイの表情、あれは演技なのかと疑うほどのリアル。ここまでで涙が出てしまいました。
小さくて、細い、全力で走ったこともない5歳の男の子が懸命に助けを求めて走る。追いかけられる恐怖。私に子どもはいませんが、我が子が死にそうな恐怖と戦っている姿に見えるこんなリアルに久々に会いました。
さて、助かったジョイとジャックの親子はジョイの両親の元に戻り、生活を始めます。そこでも沢山の困難が降りかかります。
出られるわけないと思っていた外の世界にやっと出られたのに。息子は犯人の子どもであり、ジョイの親にとっては犯人の遺伝子を持つ孫。世間からは息子だけでも外に出せたのではないかという非難を浴びることに。
そんな困難の中でも、親子を救うのは本物の世界と息子ジャックなのでした。
広い本物の世界を初めて見たジャックが伝える世界は本当にシンプル。母親を救いたい一緒に居たいという想いもシンプルに伝わってくるのです。パワーの宿っている長い髪を切るシーンも感涙です。
世界を知って、徐々に成長し、普通の男の子になるジャック。生活を取り戻すジョイ。是非観て欲しいです。私たちも美しい世界に生きていることに気づかされます。
明日はギターを持ってお花見。美しい春の世界を楽しみたいと思います。
・春
最近桜がちらほら咲いてきていますね。可愛らしい春の花。私も好きです。
桜の季節になると、高校1年生のころが思い出されます。私は中学校から私立の学校に通っていたので約一時間かけての電車通学をしていました。桜の季節、最寄り駅から学校に向かう電車に乗って3駅行くと、川沿いに植えられた桜たちを沢山観ることができました。桜が咲いてからは毎日、毎日、その桜たちの変化を楽しみにしていたものです。朝日に照らされた白っぽいピンクは、日々変化をして、散っていくにつれて桜の赤っぽい萼と、新緑が混ざりあって、反対色同士のコントラストに残念な気持ちになったりしました。
大学1年生からは、中高生時代にずっと眺めていた川沿いを実際に歩いてお花見をしていて、あの頃とはまた違った喜びを感じています。
なぜ高校1年生を思い出すのかというと、NICO Touches the WallsのPASSENGERというアルバムが発売され、ページ1という曲をよく聴いていたことを思い出すからなのです。「春も去って 明日明後日 雨」「桜も散って また次へ進める」この歌詞たちのお陰で、散った時の桜も好きになれました。
暗闇の奥へ で見るべく光はどこだ
また君に会いたいよ 無理矢理だけど真っ白な世界へ いつか会う自分の色で染められるように 大きくなるよ
今でもとっても好きな歌です。来週にはお花見に行きたいな。またあの川沿いの桜たちに会いに。大好きな人とビールを呑みながら。そんなのも良いな。
嫌いなものになんて振り回されない。私は何を言われたとしたって、前を向いて残ってる人生を楽しむから。
・漣
離れてまた近づいて形を変えて、似ているとしても二度と同じ形にはならない。漣を見ていると、切ないような当たり前のような慰められているような、色んな気持ちになります。
自分の知らないところで語られる自分というのが、どうも苦手です。どう思われておるんだろうという恐怖が常に頭にあるから、というのが最も強い理由ですが、たまに美化されている時があることも怖いのです。そんなにすごい人間じゃないのに、私なんてゴミなのに、すごく思慮深い善人になっていることがあります。「そんなのは私じゃない」と言えれば良いですが、相手が思ったことは相手の感情なので、私が否定できるものではないという葛藤もあるのです。難しい。
そんな身の丈に合っていない言葉には、ありがとうとしか応えられない。自分の語彙力の少なさからも、経験の少なさからも。私は口が悪いし、根暗で、独りよがりだし、その癖に仲の良い人とはずっと一緒にいたい。相手にはそう見えていなくて、遊び人で、酒飲みで、偏差値が低くて馬鹿に思われていても私は、何も否定できない。恐怖です。
結局ずっと他人の目を気にしています。誰もお前のこと見てないよって言われたら、それはもう同意の嵐です。その通り!でも気になる。悪く思われるくらいなら、寧ろ何とも思ってもらえずに空気として扱われる方が有難い。そう思って日々生きています。
他の人が怖くてちょっと離れて、でも相手は優しいからちょっと近付いて、また時間が空いて離れて。まるで漣のよう。同じ距離だとしても、気持ちや心は少しずつ変化していくのでしょう。良い方にも悪い方にもどちらにでも。冷静になったらきっとみんな私が嫌い。あの幸せも要らなかったと言われるはず。そしてその時は言葉で殺されるんだと、殺される日を待っている気がします。
いつになったら気にならなくなるのかねぇ。私は頭が大丈夫かな。
・言葉遊び
永遠なんてものは無いと知っている。それでも永遠を求めるのは愚かなのだろうか。私は愚かだとは思わない。強いと思う。
私はよく死ぬことを考えるし、最近は塾の中学3年生の生徒の卒業を間近に見ていて、時はいつも淡々と進んで、日々は変わっていくと強く思う。同じままなんてことはあり得ない。この中で人の気持ちも変わっていく。きっとそれが普通なのに。永遠を求めるなんて、そんな辛いこと私には出来ない。絶対に終わってしまうのに。悲しい辛い思いをするのは自分なのに。なぜ辛い方に行こうと思うのか。弱い私は逃げたくて堪らない。
22年生きてきたけれど、感情は未だによく分からない。言葉に出来ないことばかりで、書くことなんて無意味な気がしてしまうのに、でも言葉にしないと自分がおかしくなってしまいそうなんだ。ハッキリしないといけないと思った。このまま居たらずっと傷つけるし、気持ちが晴れないし、誰も幸せじゃないと気付いた。感情が捨てられなかった。それでもいいと言ってくれたとしても、それは良くない。
だから最後に伝えようと思う。最後。
・死ぬこと
やたら「死」について語ると引かれることがある。でも書いてみる。
日本以外の国はよく知らないけれど、欧米諸国は遺体を焼かずに土葬する。土葬した後に墓標を建てるのが墓のしきたりだ。墓標は様々あり、マリア、天使、十字架など様々だ。私は海外の土葬の墓がとても好きだ。
土葬に限ったことではなく、ミイラや、寺院の墓もすごく好きなのだ。
日本だと遺体は焼かれ、水分を微塵も感じさせない骨となり、墓に納められる。それは悪いことでもなんでもない。
しかし、海外の土葬においては、遺体は土のすぐ下である。死んだときの姿のまま自分のすぐ下に存在する。生きている人間はすべからく皮と肉を剥いだら、ただの骨なのだ。私も。好きなあの人も。嫌いなあいつも。みんな皮を剥げばただの骨なのだ。
海外の墓はそのことをひしひしと感じられる。そこがとても好きだ。
生きているから偉いのではない。死んだから偉いのではない。死ぬことはとても当たり前のことであり、生きることとまた、特別ではない。
ダーウィンやシェイクスピアなど、歴史名を残す人々の墓所を歩く度、泣けるほど力を知るのだった。
・年間ベスト小説、第1位
遂に第1位です。
吉本ばなな『キッチン』
第1位はこの本です。この本は今年初めて読んだ本ではありませんが、今年もこの本の女性らしさに励まされ、感動させられたので、第1位にしました。
言葉選びや表現が女性である素晴らしさを私に教えてくれた小説です。中学校から大学まで女子校で過ごした私にとって、女性らしさはどこか窮屈を感じさせる言葉でした。でも『キッチン』を読んでから、女性の素晴らしさを知った気がしたのです。
「だから、嫌なことがめぐってくる率は決して変わんない。自分では決められない。だから他のことはきっぱりと、むちゃくちゃ明るくした方がいいって。」
「まあね、でも人生は本当にいっぺん絶望しないと、そこで本当に捨てらんないのは自分のどこなのかをわかんないと、本当に楽しいことがなにかわかんないうちに大っきくなっちゃうと思うの。あたしは、よかったわ。」
「なぜ、人はこんなにも選べないのか。虫ケラのように負けまくっても、ごはんを作って食べて眠る。愛する人はみんな死んでゆく。それでも生きてゆかなくてはいけない。」
どうでしょう。この言葉たち。本当に力強く、でも身近で。素直に心に染みる言葉たちです。何年経っても心を強くしてくれる言葉たちで、全く色褪せません。男性にも是非読んで欲しい作品です。