・春

最近桜がちらほら咲いてきていますね。可愛らしい春の花。私も好きです。

 

桜の季節になると、高校1年生のころが思い出されます。私は中学校から私立の学校に通っていたので約一時間かけての電車通学をしていました。桜の季節、最寄り駅から学校に向かう電車に乗って3駅行くと、川沿いに植えられた桜たちを沢山観ることができました。桜が咲いてからは毎日、毎日、その桜たちの変化を楽しみにしていたものです。朝日に照らされた白っぽいピンクは、日々変化をして、散っていくにつれて桜の赤っぽい萼と、新緑が混ざりあって、反対色同士のコントラストに残念な気持ちになったりしました。

大学1年生からは、中高生時代にずっと眺めていた川沿いを実際に歩いてお花見をしていて、あの頃とはまた違った喜びを感じています。

 

なぜ高校1年生を思い出すのかというと、NICO Touches the WallsのPASSENGERというアルバムが発売され、ページ1という曲をよく聴いていたことを思い出すからなのです。「春も去って 明日明後日 雨」「桜も散って また次へ進める」この歌詞たちのお陰で、散った時の桜も好きになれました。

 

暗闇の奥へ で見るべく光はどこだ

また君に会いたいよ 無理矢理だけど真っ白な世界へ いつか会う自分の色で染められるように 大きくなるよ

 

今でもとっても好きな歌です。来週にはお花見に行きたいな。またあの川沿いの桜たちに会いに。大好きな人とビールを呑みながら。そんなのも良いな。

嫌いなものになんて振り回されない。私は何を言われたとしたって、前を向いて残ってる人生を楽しむから。

 

・漣

離れてまた近づいて形を変えて、似ているとしても二度と同じ形にはならない。漣を見ていると、切ないような当たり前のような慰められているような、色んな気持ちになります。

 

自分の知らないところで語られる自分というのが、どうも苦手です。どう思われておるんだろうという恐怖が常に頭にあるから、というのが最も強い理由ですが、たまに美化されている時があることも怖いのです。そんなにすごい人間じゃないのに、私なんてゴミなのに、すごく思慮深い善人になっていることがあります。「そんなのは私じゃない」と言えれば良いですが、相手が思ったことは相手の感情なので、私が否定できるものではないという葛藤もあるのです。難しい。

 

そんな身の丈に合っていない言葉には、ありがとうとしか応えられない。自分の語彙力の少なさからも、経験の少なさからも。私は口が悪いし、根暗で、独りよがりだし、その癖に仲の良い人とはずっと一緒にいたい。相手にはそう見えていなくて、遊び人で、酒飲みで、偏差値が低くて馬鹿に思われていても私は、何も否定できない。恐怖です。

結局ずっと他人の目を気にしています。誰もお前のこと見てないよって言われたら、それはもう同意の嵐です。その通り!でも気になる。悪く思われるくらいなら、寧ろ何とも思ってもらえずに空気として扱われる方が有難い。そう思って日々生きています。

 

他の人が怖くてちょっと離れて、でも相手は優しいからちょっと近付いて、また時間が空いて離れて。まるで漣のよう。同じ距離だとしても、気持ちや心は少しずつ変化していくのでしょう。良い方にも悪い方にもどちらにでも。冷静になったらきっとみんな私が嫌い。あの幸せも要らなかったと言われるはず。そしてその時は言葉で殺されるんだと、殺される日を待っている気がします。

 

 

いつになったら気にならなくなるのかねぇ。私は頭が大丈夫かな。

 

・言葉遊び

永遠なんてものは無いと知っている。それでも永遠を求めるのは愚かなのだろうか。私は愚かだとは思わない。強いと思う。

 

私はよく死ぬことを考えるし、最近は塾の中学3年生の生徒の卒業を間近に見ていて、時はいつも淡々と進んで、日々は変わっていくと強く思う。同じままなんてことはあり得ない。この中で人の気持ちも変わっていく。きっとそれが普通なのに。永遠を求めるなんて、そんな辛いこと私には出来ない。絶対に終わってしまうのに。悲しい辛い思いをするのは自分なのに。なぜ辛い方に行こうと思うのか。弱い私は逃げたくて堪らない。

 

22年生きてきたけれど、感情は未だによく分からない。言葉に出来ないことばかりで、書くことなんて無意味な気がしてしまうのに、でも言葉にしないと自分がおかしくなってしまいそうなんだ。ハッキリしないといけないと思った。このまま居たらずっと傷つけるし、気持ちが晴れないし、誰も幸せじゃないと気付いた。感情が捨てられなかった。それでもいいと言ってくれたとしても、それは良くない。

 

だから最後に伝えようと思う。最後。

・死ぬこと

やたら「死」について語ると引かれることがある。でも書いてみる。

 

日本以外の国はよく知らないけれど、欧米諸国は遺体を焼かずに土葬する。土葬した後に墓標を建てるのが墓のしきたりだ。墓標は様々あり、マリア、天使、十字架など様々だ。私は海外の土葬の墓がとても好きだ。

土葬に限ったことではなく、ミイラや、寺院の墓もすごく好きなのだ。

日本だと遺体は焼かれ、水分を微塵も感じさせない骨となり、墓に納められる。それは悪いことでもなんでもない。

しかし、海外の土葬においては、遺体は土のすぐ下である。死んだときの姿のまま自分のすぐ下に存在する。生きている人間はすべからく皮と肉を剥いだら、ただの骨なのだ。私も。好きなあの人も。嫌いなあいつも。みんな皮を剥げばただの骨なのだ。

海外の墓はそのことをひしひしと感じられる。そこがとても好きだ。

生きているから偉いのではない。死んだから偉いのではない。死ぬことはとても当たり前のことであり、生きることとまた、特別ではない。

ダーウィンシェイクスピアなど、歴史名を残す人々の墓所を歩く度、泣けるほど力を知るのだった。

 

 

・年間ベスト小説、第1位

遂に第1位です。

 

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吉本ばなな『キッチン』

 

第1位はこの本です。この本は今年初めて読んだ本ではありませんが、今年もこの本の女性らしさに励まされ、感動させられたので、第1位にしました。

言葉選びや表現が女性である素晴らしさを私に教えてくれた小説です。中学校から大学まで女子校で過ごした私にとって、女性らしさはどこか窮屈を感じさせる言葉でした。でも『キッチン』を読んでから、女性の素晴らしさを知った気がしたのです。

 

「だから、嫌なことがめぐってくる率は決して変わんない。自分では決められない。だから他のことはきっぱりと、むちゃくちゃ明るくした方がいいって。」

「まあね、でも人生は本当にいっぺん絶望しないと、そこで本当に捨てらんないのは自分のどこなのかをわかんないと、本当に楽しいことがなにかわかんないうちに大っきくなっちゃうと思うの。あたしは、よかったわ。」

「なぜ、人はこんなにも選べないのか。虫ケラのように負けまくっても、ごはんを作って食べて眠る。愛する人はみんな死んでゆく。それでも生きてゆかなくてはいけない。」

 

どうでしょう。この言葉たち。本当に力強く、でも身近で。素直に心に染みる言葉たちです。何年経っても心を強くしてくれる言葉たちで、全く色褪せません。男性にも是非読んで欲しい作品です。

・年間ベスト、第2位

続いて第2位です。

 

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森見登美彦『夜行』

 

美しい表紙のこの本、ファンタジーの世界に連れて行ってくれる切符です。森見ワールド大好きです。


大学時代の仲間たちと、あの日消えてしまった人に逢いにいく。全員がある画家に共通点がありました。

 

本が好きでよく読みますが、リアリティのあるものが好みで新書やエッセイなどが多くなってしまいます。しかし、森見登美彦のファンタジーは大好きです。現実世界から読者を切り離してくれる、本の持つ力を見せつけてくるものであり、その力に魅了されます。
少し混乱させられて、驚かされて、全く退屈しない素晴らしい作品だと思います。

"別れ"が背景に流れるこの物語。いつの時代にも別れは存在しますが、その悲しみや戸惑いは簡単に済ませられるものではありません。出来るならもう一度会いたい。言いたかったことも言いたいし、貴方の顎のラインが好きと伝えたい。


この物語では驚く形で会いたい人に会うことが出来た。でもちょっと悲しい。
そんなじんわりとした青色が滲むようなこの物語が大好きです。

 森見登美彦さんは本当に大学生を描くのが上手ですよね。京都で大学生活を送りたかったなといつも思ってしまいます。

 

・年間ベスト小説、第3位

1年間も終わってしまうので、年間ベスト3の本を紹介したいと思います。まずは3位から!!

 

3位『100万分の1回のねこ』

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これは日本人なら一度は読んだことのあるであろう超有名絵本、佐野洋子作『100万回生きたねこ』のトリビュート作品です。谷川俊太郎角田光代などなど有名作家が参加しています。

どの作品も心に残りました。猫ちゃん目線のお話、猫ちゃんの飼い主のお話。生きること死ぬことのお話。1つの作品の為のトリビュート作品の1つ1つがあんなに濃くて、胸に残るのは、『100万回生きたねこ』が伝える想いが強くて暖かいからなのでしょう。

中でも一番印象に残っている言葉があります。

 

「いや、そんなことは誰でも知ってるよ。畑を売ったら終わりってことはな。だから、それがどんなチンケな畑でも、自分の畑には違いないから売らないで大事にしてるんだよ」
町田康 百万円もらった男

 

ここでいう畑というのは自分の才能が開花する場所のことです。主人公の100万円を貰った男性は、100万円で自分の才能を売ってしまったのでした。売ってしまった才能が開花してしまう、というお話です。売ってしまった才能は二度と取り戻せない、二度と自分のものにすることは出来ませんでした。
才能を売ってお金にするというようなことは現実には起こらないけれど(絵描きが絵でお金を稼ぐというようなことはありますが)、どんなに自分が駄目で何にも成れないと思うことがあったとしても、そんな自分が自分なのだと生きていくしかない。「どんなチンケな畑でも、自分の畑には違いないから売らないで大事」にするしかありませんね。
この本を読んだのは5月のことでしたが、その後7ヶ月ずっと胸に残る言葉でした。

 

佐野洋子作『100万回生きたねこ』では、主人公のねこが真実の愛に出会うまで、100万回生き返ったお話でした。今更思いましたが、100万回生き返ったということは、100万回死んだということですよね。どんな形であれ、死ぬという苦しみを100万回味わうというのは相当なものだったのではないでしょうか。

どんな時も死ぬことと生きること、忘れずに居たいものです。その中で幸せで楽しくて喜べることに出会っていきたいです。