・死ぬこと

やたら「死」について語ると引かれることがある。でも書いてみる。

 

日本以外の国はよく知らないけれど、欧米諸国は遺体を焼かずに土葬する。土葬した後に墓標を建てるのが墓のしきたりだ。墓標は様々あり、マリア、天使、十字架など様々だ。私は海外の土葬の墓がとても好きだ。

土葬に限ったことではなく、ミイラや、寺院の墓もすごく好きなのだ。

日本だと遺体は焼かれ、水分を微塵も感じさせない骨となり、墓に納められる。それは悪いことでもなんでもない。

しかし、海外の土葬においては、遺体は土のすぐ下である。死んだときの姿のまま自分のすぐ下に存在する。生きている人間はすべからく皮と肉を剥いだら、ただの骨なのだ。私も。好きなあの人も。嫌いなあいつも。みんな皮を剥げばただの骨なのだ。

海外の墓はそのことをひしひしと感じられる。そこがとても好きだ。

生きているから偉いのではない。死んだから偉いのではない。死ぬことはとても当たり前のことであり、生きることとまた、特別ではない。

ダーウィンシェイクスピアなど、歴史名を残す人々の墓所を歩く度、泣けるほど力を知るのだった。

 

 

・年間ベスト小説、第1位

遂に第1位です。

 

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吉本ばなな『キッチン』

 

第1位はこの本です。この本は今年初めて読んだ本ではありませんが、今年もこの本の女性らしさに励まされ、感動させられたので、第1位にしました。

言葉選びや表現が女性である素晴らしさを私に教えてくれた小説です。中学校から大学まで女子校で過ごした私にとって、女性らしさはどこか窮屈を感じさせる言葉でした。でも『キッチン』を読んでから、女性の素晴らしさを知った気がしたのです。

 

「だから、嫌なことがめぐってくる率は決して変わんない。自分では決められない。だから他のことはきっぱりと、むちゃくちゃ明るくした方がいいって。」

「まあね、でも人生は本当にいっぺん絶望しないと、そこで本当に捨てらんないのは自分のどこなのかをわかんないと、本当に楽しいことがなにかわかんないうちに大っきくなっちゃうと思うの。あたしは、よかったわ。」

「なぜ、人はこんなにも選べないのか。虫ケラのように負けまくっても、ごはんを作って食べて眠る。愛する人はみんな死んでゆく。それでも生きてゆかなくてはいけない。」

 

どうでしょう。この言葉たち。本当に力強く、でも身近で。素直に心に染みる言葉たちです。何年経っても心を強くしてくれる言葉たちで、全く色褪せません。男性にも是非読んで欲しい作品です。

・年間ベスト、第2位

続いて第2位です。

 

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森見登美彦『夜行』

 

美しい表紙のこの本、ファンタジーの世界に連れて行ってくれる切符です。森見ワールド大好きです。


大学時代の仲間たちと、あの日消えてしまった人に逢いにいく。全員がある画家に共通点がありました。

 

本が好きでよく読みますが、リアリティのあるものが好みで新書やエッセイなどが多くなってしまいます。しかし、森見登美彦のファンタジーは大好きです。現実世界から読者を切り離してくれる、本の持つ力を見せつけてくるものであり、その力に魅了されます。
少し混乱させられて、驚かされて、全く退屈しない素晴らしい作品だと思います。

"別れ"が背景に流れるこの物語。いつの時代にも別れは存在しますが、その悲しみや戸惑いは簡単に済ませられるものではありません。出来るならもう一度会いたい。言いたかったことも言いたいし、貴方の顎のラインが好きと伝えたい。


この物語では驚く形で会いたい人に会うことが出来た。でもちょっと悲しい。
そんなじんわりとした青色が滲むようなこの物語が大好きです。

 森見登美彦さんは本当に大学生を描くのが上手ですよね。京都で大学生活を送りたかったなといつも思ってしまいます。

 

・年間ベスト小説、第3位

1年間も終わってしまうので、年間ベスト3の本を紹介したいと思います。まずは3位から!!

 

3位『100万分の1回のねこ』

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これは日本人なら一度は読んだことのあるであろう超有名絵本、佐野洋子作『100万回生きたねこ』のトリビュート作品です。谷川俊太郎角田光代などなど有名作家が参加しています。

どの作品も心に残りました。猫ちゃん目線のお話、猫ちゃんの飼い主のお話。生きること死ぬことのお話。1つの作品の為のトリビュート作品の1つ1つがあんなに濃くて、胸に残るのは、『100万回生きたねこ』が伝える想いが強くて暖かいからなのでしょう。

中でも一番印象に残っている言葉があります。

 

「いや、そんなことは誰でも知ってるよ。畑を売ったら終わりってことはな。だから、それがどんなチンケな畑でも、自分の畑には違いないから売らないで大事にしてるんだよ」
町田康 百万円もらった男

 

ここでいう畑というのは自分の才能が開花する場所のことです。主人公の100万円を貰った男性は、100万円で自分の才能を売ってしまったのでした。売ってしまった才能が開花してしまう、というお話です。売ってしまった才能は二度と取り戻せない、二度と自分のものにすることは出来ませんでした。
才能を売ってお金にするというようなことは現実には起こらないけれど(絵描きが絵でお金を稼ぐというようなことはありますが)、どんなに自分が駄目で何にも成れないと思うことがあったとしても、そんな自分が自分なのだと生きていくしかない。「どんなチンケな畑でも、自分の畑には違いないから売らないで大事」にするしかありませんね。
この本を読んだのは5月のことでしたが、その後7ヶ月ずっと胸に残る言葉でした。

 

佐野洋子作『100万回生きたねこ』では、主人公のねこが真実の愛に出会うまで、100万回生き返ったお話でした。今更思いましたが、100万回生き返ったということは、100万回死んだということですよね。どんな形であれ、死ぬという苦しみを100万回味わうというのは相当なものだったのではないでしょうか。

どんな時も死ぬことと生きること、忘れずに居たいものです。その中で幸せで楽しくて喜べることに出会っていきたいです。

 

・生活

一生変わらない絆で結ばれている仲間なんて私には居ないし、親友と胸を張って言えるのはせいぜい一人、二人だ。何十年も一緒に生きてきた仲間なんて居ない。そう考えると、私は独りな気がする。

 

いつから両親のことを両親であると同時に、一人一人の人間として捉えられるようになったんだろう。父は一人の男性で母は一人の女性だ。小さい頃は親は親でしかなくて、世の中にいる大人とは違う存在に見えていた。両親の言うことが絶対に正しいと思っていた。いつからだろう。母の涙も、父の落胆も一人の人間のものとして見られるようになったのは。

小さい頃は、家族は家族でしかなかった。でも今は、一人一人の人間の集合体であることが痛いくらいに分かる。もちろん、家族でしか許せないことや笑えないこともたくさんある。しかし、家族の意見にも反対出来る強さを今は持っている。

両親の気持ちや姉の気持ちに触れて生きてきたのに、私は三人とは違う全く違う人間になる。正確に言うと、もちろん私以外の三人も全く違う人間同士だ。好きな食べ物も色も曲も違う。同じ時を長く過ごして来たけれど、全員違う。違う人間たちの集合体だ。それが家族だということに、小さい頃は気付かなかった。だからこそ、両親は別れることはないし、姉はいつも側に居てくれるものだと考えていた。今でも両親の仲は良いし、姉とも仲が良い。しかし今なら、両親が別れたとしても止めるつもりもないし、大人の決断であるから反対はしない。この様に思えるようになったことは、もしかしたら純粋な気持ちを失ったということなのかもしれないし、はたまた大人になったと言えることなのかもしれない。どちらかな。

そんな人間たちが四人集まって家族でいる。似てるところは多いけれど、全く違う人間が、空気を読んで、時には励まして、ぶつかって泣いて、笑っていることはアホみたいだけど、奇跡だ。別れようと思えば別れられる。でも別れないで共に時間を過ごしてきた。

 

なんとなくそんなことを思った日だった。

・虹のように今日は逃げないで

残念なニュースだ。中学1年生の生徒が自殺したらしい。テストのカンニングを咎められたことが原因だとか。

中学1年生は、大人と言っていいのか、子どもなのか。私には分からない。人にはそれぞれの社会があるから、彼女の社会は学校で、学校でカンニング犯とレッテルを貼られてしまった以上、生きづらいと感じたのかもしれない。そんなことを想像してみる。

 

命を何かと天秤にかけてしまうことは間違っている。カンニングは確かにしてはいけないことだ。でも殺人よりはマシ。窃盗よりはマシ。私はそう思ってる。反省して自分の力だけでテストの点数を取れるようにすれば良いのではないか。これからの学校生活でカンニング犯と呼ばれたとしても、君はそれだけの罪を負ったんだ。苦しんで反省して成長していくこと、それが君のやるべき罰だったんだよ。死ぬことじゃない。君が今死ぬことは、逃げることだったんだ。私は怒るよ。

 

逃げても良い時も勿論ある。でも、逃げること=死ぬことでは無いんだ。自分の悪は認めて、それでも生きていかなければいけない。逃げることは、死ぬほど辛い時、居場所を変えることだと私は思っている。君には輝かしい未来があったよ。たとえカンニングをしたとしてもね。私は中学1年生の頃、英語が全然分からなかったけれど、中学2年生になって初めて英語が理解出来るようになって、今では中学生に英語を教えるまでになった。これから君は何が好きになっただろうね??

 

分からない。全部想像だ。カンニングじゃない他のことが理由だったのかもしれない。死ぬという自分を殺すという勇気に勝る力は、この世にあるのか私は分からない。自分を殺すには相当な力が必要だもんな。でも、それでも言いたい。生きろとか死ぬなとか偉そうなことを言える立場ではないけれど、言いたい。君は間違っているよ。間違っていたよ。たった数行、数分で片付けられてしまう程、君の人生は軽くなかったろう?

 

今どこにいるか分からないけれど、反省して、後悔して、眠っていられるといいね。

 

 

・本

最近落ち込むことがありました。きっと誰でも感じることで、自分だけじゃないことだけれど、落ち込みました。まだ少し落ち込んでいます。落ち込んでから気づいたことがありました。今日はそのことを書こうと思います。

 

落ち込んで、ひとしきり泣いて反省して、また少し泣いて。そのあと、私は本を読みました。気付いたら1冊2冊と本を読みました。今も読んでいます。本に没頭して、違う世界逃げようとしたのかな。ここ3日間で読んだ本はどれも切なく苦しいものでした。前を向けるような明るい楽しい本を選べば良いのに。何かにすごく悩んだり、苦しんでいる人が出て来る本ばかりでした。そして気付きました。

私は私以上に悲しんだり苦しんでいる人と出会って安心したかったようです。なんだ、こんなに辛い思いしてる人が居るじゃん、と。
酷いことでしょうか。誰かを不幸にしなきゃ自分を幸せに出来ないなんて。

 

今出会っているのは、大好きな同級生とセックスがしたいと思っている女子高生。東大に現役合格したけれど新興宗教にハマった兄と更年期障害に苦しむ母がいて、大好きな同級生は人妻とのコスプレセックスにハマっている。なんじゃこりゃと思うような状況だけど、愛なんて本来そんなものなんだろうなと思ったり。女子高生に教えて貰うことがたくさんありました。出会えてよかった。本から抜け出してきて、一緒に話したい。本当に好きってどんな気持ちだろうね。


母に怒られて泣いたあと、姉と喧嘩したあと、両親と姉が大喧嘩してる時、東日本大震災後の計画停電でやることがなかった時。辛かったり苦しかったり、寂しい時はいつも本を読みました。何かの物語に出会って、誰かに出会って色んな考えや想いや表情を知りました。それが今の私の一部であるし、私を作ってくれました。

 

これからもずっと誰かと、何かと出会う世界。本の世界。頼ってます。