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・カフェオレとカフェモカ

今日は久々に好きな人に会えた。つい3日ほど前に彼から電話が来ていたけど、出ることが出来なかった。マナーモードのバイブが苦手な私のスマートフォンはいつもサイレントモード。お陰で連絡に気づくのが遅い。

今日は彼の住む街に行く用事があり、3日前彼が私にしたように、彼に突然電話をしてみた。3コールほどで出てくれた。私にマナーモード設定を要求するだけあって、着信にはすぐ気付くらしい。1ヶ月ぶりに会った彼は変わっていなかった。けれど、話す内容も変わっていなかった。彼が辞めさせられた塾に通っていた生徒がどこに受かったかを延々と話していたし、他の話題と言えば麻雀について。

 

なんで彼が好きなのか、自分でも考える。彼より良い人なんていっぱいいる。いつもバイト先で話しかけてくれる人は優しいし、バレンタインのお返しもくれる。世間から見たら、毎週末に雀荘に行っていて、未だに前の職業から離れられなくて生徒のことばかり気にしてて、自分の健康については考えてなくて働いてるか分からないような人は、選ぶべきではない。私もそう思う。でもどうしても好きだ。匂いも話し方も、高い鼻もひょこひょこした歩き方も、服装も音楽と映画の趣味も、全部好き。彼と話していれば、カフェオレとカフェモカの違いなんてくだらない話もとても面白い話になる。彼が甘いと思って頼んだ抹茶フロートが苦くて顰めていた顔も素敵に見える。

 

何か議論をする時、感情論は邪魔になる。でも恋愛に関しては違うと私は思っている。この人を好きになりたい、こういうメリットがあるからという風には恋は始まらないだろう。いつの間にか好きになっているだろうと思う。だから嫌いになるその日まで、私はきっと彼が好き。トムヤムクンという料理名の意味とか麻雀の役について笑いながら話すだろうと思う。どんな話題も最高の話題になるんだと思う。

 

私のスマートフォンは今、サイレントモードじゃなくなった。

 

・昨日言えなかったこと

昨日は3月11日。東日本大地震から6年でしたね。当時私は何をしていたのか何処にいたのか何を感じていたのか、年を負うごとに記憶は薄れていきます。誰かが言っていたかもしれないし皆さん思っていることかもしれませんが敢えて、語弊を招くかもしれませんが、書きたいと思います。

 

私の誕生日は5月4日です。みどりの日とされていて所謂ゴールデンウィークの中の1日であり、多くの国民の人の休日です。その1日前の5月3日は両親の結婚記念日です。1年には(閏年を除く)365日に、誰かにとっての特別があります。どんなにくだらなくても。人生で初めてショートヘアにした日とか、初めてハイヒールを履いた日、アルバイトを始めた日、好きな人とキスをした日、入試に合格した日、たくさんたくさん特別な日があります。それは、8月6日でも8月15日でも、12月25日でも3月11日でも変わらないはずなのです。どの1日であっても誰かにとっての素晴らしい日で誰かにとっての辛く悲しい日なのです。同じ価値を同じ重さを同じ意味を持った1日なのです。それを忘れなければ償いに、祈りになるのだと思います。

 

花火は綺麗と誰かに見てもらうことで鎮魂の意味を持ちます。不謹慎でも何でもないのです。誰かが死んだ土地で子供たちが大笑いして、綿あめを食べてたこ焼きを食べて、花火の綺麗さに感動することは正しいのです。どんな土地にも血は流れ、その血の上に私たちは立ち、泣き、笑い、生きている。何をしても良いというのではないけれど、感謝を忘れず、笑えればそれが1番の未来なのではないかと思います。

 

私が死んだら、遺された人には笑っていて欲しいし、喧嘩しないで欲しい。笑って、何でもない1日としてその日を過ごして欲しいです。なかなか悲しみは消えないけれど、喜びと同じように悲しみも感情です。同じように向き合えばいつか形は変わるはずです。

 

 

・選ぶ

去年から学習塾の講師のアルバイトをしています。この学習塾は特に勉強が不得意な生徒が通う塾です。講師1人に対し生徒は2人まで。私は中学生の英語と小学生の算数、国語などを担当していました。自分の担当で今回受験を迎えた中学3年生は、7名いました。全員高校進学は決まりました。皆さん頑張ったなと感じています。

 

私自身は中高一貫校であった為、高校受験を経験していません。高校受験に対して前期後期受験がどのように違うのか、倍率、ランクを下げるとは、など色々なことが勉強不足だったと感じています。今回の受験を通して、志望の高校に合格するということがこんなにも厳しいことなのだということを痛感しました。やはり、不合格であったという事には理由があります。毎週の授業で不定詞の用法や助動詞の書き換え、助動詞それぞれの意味、三人称単数形による変化など同じことを繰り返し突っ込んで、分からなければ絶対に覚えるように伝えたけれど覚えてない。基本が甘かったと思います。同じ高校に通いたい中学生がどれだけいて、どのくらいの人数の中戦わなければいけないのか目には見えにくく想像出来ないだろうけど、自分と似てる人はたくさんいて、選ばれることがどれほど難しいということを、生徒に少しでも感じさせていなければいけなかったと思います。それを伝えるのも私の役割のうちだったのだと感じました。後悔しています。

私自身、高校生活は中学校よりも楽しかったです。学年の生徒は代わり映えがないけれど、中学の頃に比べて自由度は高くなったし、勉強に対しても本気になっていったし、つらいことがあっても毎日笑っていました。高校は本当に楽しいところだということは生徒に伝えていたけれど、そこに行く難しさはきっと私も生徒もいまいち分かっていなかった。反省しなければなりません。

 

そして今、私が出来ることは後期を終えても一校も合格を貰えていない生徒を支えることです。人間、不安だったり失敗してしまった時が1番心細くて、助けを必要としているんだと思います。自分の担当の生徒じゃなくても、元気をあげることくらいは私も出来るのではないかと思います。

自分は選ばれる人間だ、ということに悲しみを感じるだけでなく、自分が選びに行ってるのさ!と思えるくらいの強さを持って欲しいし、私も持ちたいです。一緒に強くなろう。

 

 

 

 

・旅行〜広島編〜

土日を利用して久々に社会人の姉も参加して家族で広島に行ってきました。初めての広島、とても有意義でした。

 

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原爆ドームです。建築物として、とても美しい設計だと原爆が落とされる前の写真から見受けられましたが、現在でも柱などかは当時の美しさを見ることが出来ます。

広島平和記念資料館にも初めて行きました。火傷を負った人々の写真や、人型の影が残る階段、原爆の影響で亡くなった人の爪などを見ても、現実味が感じられませんでした。こんな事が起こり得るのか。こんなむごい事が現実で起こったのか。信じ難いです。

 

平和記念公園に行く前には、広島にイタリア料理を広めたお店であるリストランテマリオに行きました。

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食べ物の写真を撮るのが上手い気がします。

 

そこから厳島神社にも行きました。1100年代に造られたという厳島神社。もちろん改修はされていますが、この様な荘厳な神社を設計することのセンスが素晴らしい。鏡が祀られていたところも私の気分を上げました。やはり神と鏡は切っても切れない関係ですね。

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鹿もたくさんいて可愛かったです。

厳島の家々は瓦屋根でしたが、鬼瓦が使用されているものが多く、とても印象的でした。

 

 

2日目は広島から島根まで車で足を伸ばし、出雲大社に行きました。古事記日本書紀の授業を受けてからというもの、一度訪れたかった場所だったので幸せでした。因幡の白兎のモチーフがたくさんあり、気分が上がりました。

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騙した鰐たちに皮を剥がされた白兎は、ヤガミ姫に求婚しに向かっていた大国主の兄たちに、海水をつければ治ると言われ実行してみたところ、傷に染みて更に傷は悪化してしまいます。そこへ兄たちの荷物持ちとしてやってきた大国主がやって来ます。彼は白兎に的確な指示をして、それを実行したところ傷は綺麗に治ったのです。そうして因幡の白兎はヤガミ姫が、兄たちにではなく大国主を選ぶと予言し、その通りになります。これが因幡の白兎の概略です。

だから兎たちは、神に向かって祈りを捧げているのですね。可愛い。

 

1泊2日という短い時間でタイトスケジュールでしたが、とても有意義に楽しめました。気分転換にもなりました。

余談ですが、もみじ饅頭はクリームチーズ味が美味しかったです。行く機会があれば是非。

 

 

・真意

 

天野貴元さんというアマチュア棋士の方をご存知でしょうか。先程、知人に勧められた彼のドキュメンタリー映像を観ました。天野さんは癌により一昨年30歳で亡くなりました。余命を宣告され、亡くなるまでの1年以上の期間をドキュメンタリーとして映像にしていました。

倒れるまで、細い身体で無理をしながら全力で将棋を指している彼の姿は、とても強かったです。月並みな感想ですが、生きるとは命を燃やすとはああいうことなのだと感じました。

 

さて私がこの映像で気になったのは、密着していたディレクターが天野さんに問い掛けた質問でした。癌が進行し、将棋を指す体力すらなく、ギリギリの状態の天野さんは、幾つものアマチュア将棋大会に挑戦するものの優勝することは出来ていませんでした。そんな彼にディレクターが「天野さんは将棋で負けていますよね。どうして…」と話し掛けますが、ここまで話した時点で、天野さんは対局に負けた悔しさのあまり泣き始めました。悔しい、悔しいと頭を抱えて泣いていました。ディレクターは泣かせる、傷付けるつもりで言ったのではないんだなと私は感じましたが、動画のコメント欄では「辛辣な質問」「どうしてこんなこと言ったんだ」等の意見が多く見られました。天野さんが泣いた時、ディレクターの「好きとか嫌いじゃ」という小さい声が聞こえました。つまり、ディレクターが言いたかったことはこうだと思います。「体調も最悪の状態であるし、負ける悔しさを感じることの方が多い。それでも尚、将棋を指し続けるのは何故なのでしょうか。単に好き嫌いだけではここまで続けられませんよね。」これがディレクターの真意だったのではないでしょうか。しかしそれはあの映像を観た多くの人々に伝わらなかったのだと私は感じました。確かに「言い方は失礼かもしれませんが」等の枕詞を添えた方が分かりやすかったかもしれません。言葉の真意を伝えるということは難しいなと思いました。

 

動物も含め生死についての記録を見たり読むことはあまりしたくありません。必ず泣いてしまうし、そこから、私も頑張らなきゃと思うことが嫌なのです。本当だったら日々生きていることを真面目に捉えて、誰かや何かの死を意識しなくとも自分の生を顧みるべきだからです。まぁいきなり「今日も生きている。これ以上幸せなことはない。」と言い始めたら怖いけれど。そんな私でも、あのドキュメンタリーは観て良かったと思いました。時間があれば是非。

 

 

・持ったまま

今日ふと思い出したことがある。万引き犯と間違われ、高校への推薦をしてもらえずに苦悩して自殺した少年のことだ。少年は担任に万引きをしたことの確認をされた際に「はい」と答えたそうだが、実際はしていなかったということだった。何故少年は「はい」と返事をしてしまったのだろうと世間の人は言っていた。しかし私は少年の気持ちが分かる気がする。

私も死んでいたかもしれないからだ。

小学生の頃、私も犯人に間違われたことがあり、そして当時の担任の中では私が犯人のままになっているということを思い出した。

 

あれは私が小学4年生の頃だ。以前にも話したことがあるように、私は虐められていた。クラスの中心である女子グループに陰口を言われたり、パンツの柄をバラされるなんてこともあったなぁ。とっても恥ずかしかったし、惨めだったし、心はいつも独りだった。いつもは陰口を言うくせに、先生の前や授業参観などの親の前では仲の良いふりをしてくる彼女たちも嫌だったし、私は虐められていると悟られたくなくて、みんなと仲良しだというふりをした自分も嫌だった。偽物の優しさに縋らなきゃいけない惨めな子どもだった。当時は当然、女子グループに怒りを持っていた。これで怒らなかったら相当心が寛大なのか、感覚が鈍っているのどちらかだ。ある日、女子グループのリーダーMの筆箱が切り裂かれトイレに捨てられる事件が起きた。Mが自慢していた当時流行っていたブランドのファイルもぐしゃぐしゃになって発見されたし、クラスの掲示板に貼られたクラスメイトの写真の中に写るMの顔がマジックで塗りつぶされていた。要は誰かがMに陰湿で最低な行為をしていたのだ。私はもちろんMのことが大嫌いだったけれど、そんなめんどくさいことをやるエネルギーもなければ勇気もなかった。しかし最悪なことに、切り裂かれた筆箱もマジックで塗りつぶされた写真もどちらも私が見つけてしまったのだ。第一発見者が犯人扱いされるのはよくあることだ。ここで何を言ってもしょうがないが、私はやっていない。しかし担任は後日私にこっそり「Mに謝れば?」と微笑みながら言ってきたのだった。私は何のことか分からず「??はい?」と応えてしまった。そして後から気付いたのだ、犯人にされてるんだな、と。数日経ってから訂正は出来なかったし、大人に意見する勇気もなかった。当時の犯人は完全犯罪をしたのだ。私に濡れ衣を着せて。

だから少年の気持ちが分かる気がする。やってもいないのに「はい」と言ってしまったことがあるからだ。そして担任に誤解されたまま自分が犯人のまま生きてきた。あの頃の惨めで冷たくて黒い気持ちは今も消えない。きっと永久凍土のようにいつになってもそこにあり続けて消えないものなんだと思う。この気持ちを持ったまま、私は生きていく。忘れてなんかやるもんか!

 

・話す意味、書く意味

音が意味を持って、誰かに伝わるというのは不思議で、奇跡のようなことだと思いませんか。"あ"という音と"め"という音が繋がって"雨"という単語になり意味を持ちます。イントネーションが加われば"飴"にもなります。これは同じ言語を理解出来る人にだけ伝わることですが、一つ一つの小さな音が繋がって意味を持つということに感動を覚えます。ホモ・サピエンスの時代の原人たちも、きっと想いを伝えたいから、音を出したんでしょう。あー、とか、うー、とか。いつしかそれが意味を持った。そこは危険だ、とか、狩りに行こう、とか。そうやって人は生き延びて、今の形の言葉が生まれたんだと思います。考えれば考えるほど不思議なことです。

 

小さな音たちは繋がって意味を持って、文章にもなります。そしてその文章は、人の気持ちを動かすことだって出来る。

だから私は言葉が、特に日本語が好きです。誰かを変えられる、助けられる、楽しく出来ると思うから。裏を読み取るとか高度な技を求める言葉もたまにあるけれど、基本的に言葉は直球です。そこが好き。気持ちをぴったり表現出来る言葉に出会った時は、飛び跳ねたいほど嬉しいものです。

"優柔不断な気持ちはマッキーで塗り潰す"とか、"両手に愛とナイフ"とか。"進化する前に戻って何もかもに感動しよう"とか。大好きな言葉たちです。私に勇気も、切なさもくれる私の味方の言葉です。

 

私も自分の言葉で、誰かを笑わせたいな、救いたいなと思います。