・話す意味、書く意味

音が意味を持って、誰かに伝わるというのは不思議で、奇跡のようなことだと思いませんか。"あ"という音と"め"という音が繋がって"雨"という単語になり意味を持ちます。イントネーションが加われば"飴"にもなります。これは同じ言語を理解出来る人にだけ伝わることですが、一つ一つの小さな音が繋がって意味を持つということに感動を覚えます。ホモ・サピエンスの時代の原人たちも、きっと想いを伝えたいから、音を出したんでしょう。あー、とか、うー、とか。いつしかそれが意味を持った。そこは危険だ、とか、狩りに行こう、とか。そうやって人は生き延びて、今の形の言葉が生まれたんだと思います。考えれば考えるほど不思議なことです。

 

小さな音たちは繋がって意味を持って、文章にもなります。そしてその文章は、人の気持ちを動かすことだって出来る。

だから私は言葉が、特に日本語が好きです。誰かを変えられる、助けられる、楽しく出来ると思うから。裏を読み取るとか高度な技を求める言葉もたまにあるけれど、基本的に言葉は直球です。そこが好き。気持ちをぴったり表現出来る言葉に出会った時は、飛び跳ねたいほど嬉しいものです。

"優柔不断な気持ちはマッキーで塗り潰す"とか、"両手に愛とナイフ"とか。"進化する前に戻って何もかもに感動しよう"とか。大好きな言葉たちです。私に勇気も、切なさもくれる私の味方の言葉です。

 

私も自分の言葉で、誰かを笑わせたいな、救いたいなと思います。

 

 

・すべてがFになる

好きな作家の1人である森博嗣のデビュー作『すべてがFになる』を読了しました。最近ドラマ化やアニメ化もされて、ご存知の方も多いと思います。

 

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すべてがFになる森博嗣

 

まず驚いたことは、20年ほど前に書かれた作品であるにも関わらずコンピューターシステムの話が全く古臭いものではないということでした。何も違和感がないのです。ミステリー作品において現在よくあるトリックとして、携帯電話やスマートフォンを使うトリックが挙げられますが、この作品が出来た頃はそのようなものは使えないトリックなのです。しかし全然古臭くない。まるで森博嗣は20年先の未来を予言していたのかという気分になりました。

 

話の内容としては、理系作家の名にふさわしいトリックで、素晴らしかったです。私が抱く森博嗣の作品のイメージは、薄いグレーです。理由は、無機質で完璧、クリーン、すべての物事が論理だっている、という理由からです。少し人間離れている感じ。ロボットに近いかもしれません。今回の作品も薄いグレーのイメージでした。ロボットのように、感情があまり問題にならない作品です。

 

読んでいて、言葉も胸に残るかっこいいものが多かったです。

「だけど、だいたい自然なんて見せかけなんだからね。コンピュータで作られたものは必ず受け入れられるよ。それは、まやかしだけど……、本物なんて、そもそもないことに気づくべきなんだ、人間は……。」とか「自分の人生を他人に干渉してもらいたい、それが、愛されたい、という言葉の意味ではありませんか?(中略)自分の意志で生まれてくる生命はありません。他人の干渉によって死ぬというのは、自分の意志ではなく生まれたものの、本能的な欲求ではないでしょうか?」などです。感情論に偏りがちな私にも納得出来るものでした。とても論理的という印象を受ける言葉だと感じます。まるで数学の問題を整理しながら解いているようなそんな気分になります。養老孟司森博嗣の対談を読んだことがありますが、その時に感じた森博嗣に対するイメージがそのまま反映されているのうな作品でした。

 

文系でも理系でも関係なしに読んでもらいたいミステリー作品でした!

 

 

・成長期

 

信じられないとか意外と言われることが多いけれど、私は少林寺拳法初段を持っているし、小学校時代6年間運動会でリレーの選手に選ばれていたし、暮らしている市の小学校が集まる総合体育祭ではリレーの選手、100メートル走の学校代表選手だった。学級委員も毎年やっていた。中高一貫校に進学した後は、中1から高3まで学級委員に選ばれていた。ギター部の部長もしていた。

 

なんだか今の根暗で、集団行動が苦手で、ビビリな性格とは反対の生活をしていたように思う。もちろん当時も、何をするにも多少の怖気はあったし、中高の頃はそれが顕著だった。幼い頃ほど人生経験が少ないから誰しも無鉄砲だとは思うが。

今の私を見たら、過去の私はどう思うのだろうと感じる時もあるし、過去の私のことを話せば、今と全く違う輝いた過去に現在周りにいる人は驚くだろう。

でも、私の過去は栄光だったのかな?と思う。よく「過去の栄光」という言葉を耳にする。華々しい過去に縋ってしまう人がこの世にはたくさん居る。今の私の人生のピークは、あの頃だろう。足が速くて、学級委員も部長もしてたあの頃。でも、戻りたいとも縋りたいとも思わない。あの頃も、今よりずっとずっと辛いことがたくさんあったからだ。小学2年生の頃は、同じ女の子のグループで仲間はずれにされたり、パシリにされたりして虐められていたし、クラスが変わった小学3年、4年生でも陰で悪口を言われて孤立していた。担任の先生も気付いていたけど助けてくれなかった。まぁ先生なんてそんなもんだ。5年生の頃もクラスの仲が悪くて、担任の先生がストレスが原因で入院するくらいだった。虐められるのを恐れるように進学した中学校では1年生の頃、幽霊部員をしてた部活の同じ学年の子たちにたくさん悪口を言われたし(幽霊部員してた自分も相当悪い)、中3から高3まではギター部の部員をまとめるのも難しかった。

思い返すと、虐められてばかりだった。そんな中で親友を2人も見つけられたことは幸運だった。そしてやっぱり小学校時代からの友人はいない(笑)友人とも言って貰いたくないし、言わない。これは当時1人で戦った自分へのせめてもの拍手だから。

こんな過去だから、別に戻りたくもない。どんな人も、やっぱり今が過去より美しいんだと感じる。過去を重ねて、精神も見た目も絶対変わってる。陰口を叩いていたことのダサさとか、精神が子どもだったことに気づいているだろう。(たまに気づいていない人がいるから注意だけれど。)人生のピークを過去に設定するにはまだ早いし、過去より今、今よりも未来の自分があなたが、絶対いつよりも美しいし強いはずだ。

 

と思ってる。1人で。

今日は渋幕の入試だね。実力を出し切れよ!

 

 

・母方の祖父のこと

今日、母方の祖父が入院した。
私と干支が同じ、5回り違うので60歳差、祖父は今、81歳だ。
祖父は以前、前立腺癌を患って入院、手術をしたことがあるし、肺の手術を受けたこともある。そこから健康には気を遣っていた。タバコとお酒はやめて、毎日散歩に出かけて健康に過ごそうと努めていた。


しかし、祖父を変えてしまった出来事がある。叔父の死である。


叔父は、母の兄、つまり祖父の息子にあたる。彼が一昨年肺癌で入院してから、あっという間に亡くなってしまった。祖父は普段無口だし、感情をあまり表に出さないけれど、叔父のお葬式では何度か目を擦っていた。息子が亡くなる経験はしたことがないから、祖父の気持ちを理解することは正確には出来ないけれど、こんなにも残酷で辛い経験はないだろう。叔父が亡くなってからというもの、祖父は毎日お酒を飲むようになったし、節制もしなくなった。母曰く、もう生きることがどうでもよくなってしまったみたい、らしい。生きることに投げやり、もう死にたいということだろうか。

 

 

祖父は第二次世界大戦時、朝鮮半島に居た。疎開をしたものの、食べ物もなく、捨てられた食べ物をどんなに腐っていても口にしたらしい。日本に帰る時、船に乗っていたら野生のイルカが船と並行して飛び跳ねていた、と語っていた。祖父の口から戦争のことを聞いたのは、これが最初で最後だったように思う。
戦争から帰った祖父は、中学校に進み、県内で一番の進学校に入る。そして大学生になり、建築科の技術を活かし、建築関係の仕事をしていた。祖父の描く絵はとても緻密で正確に建物を捉えたものだったし、とても上手かった。この頃は全然絵を描かなかったけれど。

 

 

必死に紡いできた命はいつか、もう要らないと思う日が来るのだろうか。祖父の気持ちも分からなくない。でも残される祖母は。父親も兄も亡くなることになる母は。祖父のことが好きな孫たちは。何を思えば良い?
私はまた祖父と一緒に鍋を囲みたいし、子供の頃みたいに公園にも映画にも行きたい。祖父の描いた絵をもう一度見たい。トランプもしたい。私の好きな人がどんな人か教えたいし、いつか結婚式にも呼びたい。母がダイエットすると言いながらアイスを食べてることも、姉が最近肌の乾燥に悩んでることも、父が通販で電車の模型ばかり買うことも伝えたい。


まだいかないでよ。永遠じゃなことは分かってるけど、それでもやっぱり今じゃないはずなんだ。回復して、嘘みたいに何でもなかったみたいに、また笑えることを願ってるよ。

 

 

・迷宮

自分が異端の存在であるように感じたことはあるだろうか。私はある。生きている世界からの疎外感があり、理解者なんて1人もいなくて、自分の考えていることが全てから外れている理屈の通らないただの感情論だと気付き、あぁどうしたらいいのか、誰かに受け入れてもらいたいのか1人で居たいのか、独りになることは叶わないのか、ぐるぐる考えたことがあった。

 

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『迷宮』中村文則


中村文則の書く小説は何故こんなにも私を苦しめるんだろうか。主人公の新見の気持ちなんて分かるわけがないし、私から見たら新見は異端だと思えるのに、どうしたって私と似ているのだ。
彼のように精神科に通院するように言われたことはないし、その必要もなかった。自分の中にもう1人の人格を作り出すこともなかったし、親に捨てられたこともない。それなのに、彼の考えや行動に理解がある。同意してしまう。
私はおかしいのだろうか。精神異常者なのだろうか。
このことから分かるのは、この世界に生きている人きっと全てが異常であるということだ。みんな何処か壊れている。壊れているのを隠していたり、必死に修理して何事も無いかのように生きている。側から見れば、精神異常者のような行動も、当の本人にすれば、それを行うことで精神を保っている可能性も大いにあるのだ。私たちは他人のことを何にも理解していない。自分の基準なんて、思っている以上に簡単に壊れる、壊される。

新見と紗奈江との関係は恋人とは言えなかった。しかし、最後は入籍する。新見も付き合いが生まれた時は、愛と思っていなかっただろう。彼は何度も、なんとなく彼女の部屋に向かった。仕事帰り、暇になった時何度も。好き、だなんて全く思ってなさそうに。
ごちゃごちゃ色んな考えがあって、この人の今の考えは本当の気持ちなんだろうかとか、これは本当に愛なのかとか疑うものがたくさんあっても、そんなもの取っ払って、気にしないで、それでもなんとなく一緒にいる。この考えは実はどんな言葉よりも動物的で自分の気持ちに素直な行動なのではないかと感じる。

 

 議論をする際には感情論は否定される。感情なんてものは人によって違うからだ。しかし自分に関することの多くは、自分の気持ちを基準に選択してきただろう。だからたまには、ここぞという時は、自分の気持ちを信じたい。生まれる前からすり込まれたDNAのように、本能とは理屈にも勝るものだと思うから。

 

 

 

 

・大嫌いな祖父のこと

 

父方の祖父が亡くなったのは去年の6月のことでした。その頃私の家と父方の祖父との連絡は途絶え、絶縁に近い状態でした。

最後に祖父母の家に行ったのは何時のことか分からないほどでした。唯一連絡を取っていたのは、長男である父だけでした。

祖母は5年程前から認知症を患い、話すことも出来ず、長い間入院しています。今もです。祖父は祖母の介護を自分1人でやると言い、周りの冷静な声にも耳を傾けず、1人で介護をしていました。

私や姉が小さい頃は、少し短気で、怒ると暴力的なおじいちゃん(十分怖いな)という感じでしたがそれ以上でもそれ以下でもなかったです。しかし20歳も超えた私が知ったことは、父方の祖父母は私の母のことが気に入らず、長い間嫌がらせをしていたということでした。それはそれはもう気の滅入るような陰湿なもので、私は今でも許すことは出来ません。母はそのつらさを私や姉にバレないようにずっと隠していたのです。知りませんでした。

 

そんな祖父の最期は、脳梗塞でした。

1人で介護をしている祖母を車に乗せ、いつも通院する病院に車を走らせている途中で起こったようです。なんとか病院の駐車場に車を停め、車から降り、倒れ、それからあっという間に亡くなりました。車を走らせている時に意識を失っていたらたくさんの人を巻き込んだ大事故になったかもしれません。だから酷い頭痛の中、必死に車を停めようとしたのではないかと検死を担当した医師に父は言われたそうです。車は駐車場の線に対して斜めに停められ、必死さが伝わりました。また、脳梗塞を起こした祖父の脳はレントゲンに写すと半分が真っ白だったそうです。半分が石のように固まってしまっていたそうなのです。よくこの状態で生きられたものだ、相当な激痛だっただろうし、性格が荒かったのもこの脳のせいだろうと医師に言われました。

遺品を整理しに向かった祖父の家には、市販の頭痛薬がたくさん、至る所に置いてありました。痛かったのでしょうね。

 

私はあなたの事をずっと恨んでいました。私の母を苦しめ父を苦しめてきたあなたを。でも何も知らなかった。恨むにはあなたの人間性を知らな過ぎたと今は思います。本当は大学に通いたかったけれど家にお金が無いからと職についたこと。それでも勉強したいと、沢山の文学作品を読み漁り、英語のテキストを何冊もこなしたこと。何も知らなかった。知ろうともしませんでした。ごめんなさい。今でも両親を苦しめた存在として許すことは出来ませんが、あなたの苦しみも知りました。どうか安らかに眠ってくれていれば良いです。

 

 

・歌、音楽

 

小学生の頃に文鳥を飼っていました。オスでした。メスかと思って育てていたら、求愛の歌を歌うようになったので、オスだと分かりました。白文鳥だと思って雛の頃から育てていたけれど、どうやら桜文鳥とミックスだったようでおじゃる丸の眉毛みたいに黒い羽毛がある子でした。

 

先に述べたように文鳥は、求愛のために自分で歌を作ります。卵から孵り、誰に教えられたわけでもないのに、遺伝子を遺すためにメスを探すし、メスを引き寄せるために歌を作るのです。

生物のゴールは、遺伝子を遺すことだと私は思います。だからその為に生物は力を尽くしますよね。カマキリのオスは、産卵を控えたメスの餌になって生を終えるし、苺は受粉するために蜜蜂を誘き寄せます。異性と会うため工夫を凝らします。鳥はダンスをしたり鳴き声がいかに勇ましいかなど沢山求愛の方法がありますが、文鳥は歌を選びました。

 

歌とは、音楽とは、生物が遺伝子レベルで反応してしまう心地よさとか魅力があるものなんだと最近思いました。上手く言葉に出来ませんでしたが。(笑)

なぜだかこのメロディに惹かれてしまう、この曲を聴くとなぜだか泣きたくなる、そんな風に歌は人を動かしてしまうものなのではないかと思ったんです。だから歌が好き音楽が好きという人はある意味とても生物らしいし、そういう人が集まっている部活やサークルやライブ会場なんかは、必然的に吸い寄せられてしまった場所のようにも思えます。どんな場所よりも、人間が生物らしく居られる場所のように感じました。

生物らしく何も飾らずに居られる場所というのは実はとても少ないです。自宅とか、もっと狭ければ自分の部屋のベッドとかの人も居るんじゃないでしょうか。だからそういう場所って大事にしたいし、そこで出会った人とは分かり合えることがたくさんあるんじゃないかなと思います。

 

余談ですが、

飼っていた文鳥が死んでしまったのは6月9日でした。語呂合わせでロック(Rock)の日と覚えています。