・深夜高速

半年前の私のこと、覚えていますか。黒い革のジャケットを羽織って、中にはピンクのセーターを着て彼に会いに行ったね。またこの桜並木を一緒に歩けたなとのんびり喜びながら、缶ビールを二人で飲みました。

 

半年経った今、私は2、3年後結婚しようかと言っている彼がいます。桜を一緒に眺めたあの彼じゃない。大学1年生からずっと恋して愛してたあの彼じゃないのです。

自分でも驚く変化です。

あの彼が私には1番合っていたから。音楽の趣味も、感性も、好きな映画も小説も、においも声も。

 

あの日、歌っていた姿。帰り道に観た眩しい午前5時の満月。何も忘れてない。

今付き合っている彼は私のことが大好きで、私にとても甘いです。精神的に強くて、頼りがいがあって、背も高くて良い意味でとても男らしく、ジェントルマンであるべきだからといつも言っています。とても素敵。

ずっと好きだった彼は、細くて消えてしまいそうな儚さで、病気だけど抗っていて、毒舌でたまにとても冷たくて、でも温かい人です。とても素敵。

二人とも全然違う。でも確実に私は、変わっていっているんだなと感じます。

 

あの日、カラオケで叫ぶように歌ってた。

 

生きててよかった    生きててよかった

生きててよかった    そんな夜を探してる

生きててよかった    生きててよかった

生きててよかった    そんな夜は何処だ

 

思い出すだけで涙が出そうになるよ。今もきっと叫ぶように苦しんでるんだと思います。もう友達として支えることしかできないけれど、死なないで出来るだけ苦しまないで生きて欲しい。私も幸せになるから。

生きててよかったって、死んだ方がマシさって歌わないで済むように。

 

 

・夏の煙

実は水曜日に祖母が亡くなりました。祖母の正確な年齢が分からないくらい、祖母とは距離を置いていました。というか父方の祖父母とは距離をとっていたのです。母がいじめられていたからね。

この歳になると、昔見えなかったものが見えてくる。子供の頃見えていたことは見えなくなることと引き換えに。もう私の瞳にはトトロもネコバスも写らないのだろうと思います。それくらい大人になってしまった。というか大人になっていた、ということです。

 

さて、亡くなった祖母は10年くらい意思疏通も出来ないで、うーうー声を出すだけで、延命の手術を受けさせられてしまい、日々寝ているだけ。生かされてしまった死に損ねた呼吸する人形のような10年でした。酷い言い方だね。

それを見ているから、だから、亡くなったと連絡が来たとき、やっと死ねたんだと思ってしまったのです。

やっと、生かされる時間が終わって自分が主体の生死に戻れたんだと思ってしまった。本人がどう思っているかも分からないままに。死人に口無しなので、当たり前だけど何も聞けない。彼女は何も言わない。どう思っていたのか。もっと生きたかったか。早く死にたかったか。分からない。

しかし、彼女が亡くなった今、否応なく、彼女のDNAが私の中に流れていることを感じる。あぁ、私こんなにも好きも嫌いもした人たちの血を身体に流して生きてるのか。その血を心臓で全身に送り出しているのかと思ってしまう時間が過ぎる。

 

数年前から、人間皆、死ねばその体を覆っている皮膚を剥がせば骨だと、皆同じ形の骨だと思うようになった。それは怖いとか気持ち悪いという思いじゃない。怖いこと辛いこと、幸せなこと、嬉しいことそれらを作り出すのは皆、同じ形の人間。皆、土に帰るただの装飾された骨だと思うようになって、楽になった。死ぬことなんて怖くない。誰かの怒りも怖くない。みんな同じ形に帰るんだから。

 

明日明後日と祖母の葬儀だ。体を焼かれた人間だった骨たちの最期を見る。自分もいつかこうなると、知る時間が来る。それでもいつか思うんだ。この人と一緒に居たいと。人間って怖いね。

 

終わり。

・土

土の表面は温かく、深く掘るにつれて冷たさを帯びる。深い場所にいくほど水分を含み、手にまとわりつく様な、生命の全てを飲み込んでしまう様な、そんな気がする。

中村文則の『土の中の子供』は何度読んでも私を苦しませ、私に希望を与え、私を作り直してくれる。

 

壮絶な虐待を受け、生死の淵を歩いた彼を可哀想だと思った自分は、なんて烏滸がましく、しかしなんて無力で高飛車なのかと気付かずにはいられない。

抵抗する力もなく土に埋められた彼は、どこに残っていたのか生命力としか言い様の無い力で生き返るのだ。

死ぬことを良いとは思わないものの、死ぬしかなかったと感じていた少年が、何かおかしいと、このままではいけないのではないかと土から必死に逃げる描写は胸が苦しくなる。

引き取られた施設で彼に向かって「それじゃあ思うつぼだよ」「不幸な立場が不幸な人間を生むなんて、そんな公式、俺は認めないぞ。それじゃあ、あいつらの思う通りじゃないか」と自分も虐待などの何らかの苦しみを経験したであろう少年が語る言葉も、そんな風に流れに抗って生きていた少年が数年後に自殺することも、私の心を砕く。

 

何度読んでも何度読んでも、私は以前読んだときから何も変わっていないのだと思い知らされ、だからこそ誠実に生きなければならないと思わされる。死を感じて生を知る。

 

暗い作品?確かに明るくはない。

しかしそんな理由で、これを読まないなんて人生にとって大きな損失だろうな。

 

 

・一文字

去年のNHK紅白歌合戦で観たSuperflyの愛を込めて花束をに感動してからというもの、YouTubeでその曲を聴くようになった。オーケストラの前で色とりどりの花たちの前に立ち、緑のロングドレスの裾を揺らしながらショートカットの似合う笑顔で歌っている彼女は、圧倒的な眩しさだ。

 

この曲の歌詞の一部分に私はいつも惹かれてしまう。"この込み上がる気持ちが愛じゃないなら 何が愛か分からないほど"この一節だ。この一節、"込み上がる気持ち"というところがポイントだ。"込み上げる"ではなく"込み上がる"なのだ。込み上げるだと、自分の意思があるように思える。上げよう上げようと思って込み上げる。しかし込み上がるという場合、自分の意思に反して勝手に上がってきてしまっているのだ。たった一文字の違いで"抑えようとしても勝手に込み上がってきてしまう気持ち"を表すことが出来ている。素晴らしい例だと思うのだ。

 

日本語はたった一文字で、意味を大きく変える。例えば「カメラ、壊しちゃった。」と「カメラ、壊れちゃった。」はどうだろうか。前者は自分が落としたりなどの理由で自分が壊してしまったのに対して、後者はカメラが勝手に壊れたような印象を与える。たった一文字でこれだけの変化をする。

 

気持ちを伝えるには言葉が必要だ。でも実に難しい。難しいけれど美しい。たった一文字も気を抜けないけれど、大切にしていきたいものだ。"これでいい"ではなく、"これがいい"と思えるように、しっかり言葉を選んで日々を過ごしたいものだ。

 

 

・ミクロの世界

昔からミイラには興味があったけれど、いつ頃からだろうか。骨が好きになった。骸骨を見ても怖い気持ちはあまりない。美しいとさえ思う。何故怖くないかと問われれば、私の皮膚と肉を剥げば同じように骨になるからだ。みんなみんな骨になる。

 

生物はガス交換であったり、傷の治癒であったり、脈であったり、意識せずとも生きるための行動をとっている。それは誰に教えてもらった訳でもなく、体が臓器が勝手に働いてくれている。それは普段は気づかないけれど、実はとてつもなくすごいことだ。

かっこうが卵の殻を破って外に出て目も開かないうちに他の卵を巣から落とすように、亀が卵の殻を破って砂を蹴って砂浜まで上がり海を目指すように。誰がそうしろと教えた訳でもないのに、生きるための行動を知っている。これはdnaによるものなのだろうか。

 

本を読んでいると知らないことをたくさん知ることが出来る。遺伝子を詳しく知りたくて読み始めたこの本には驚くべきことばかりが書いてある。

"ショウジョウバエがサナギになるとき、ダンスでもしているかのように、身体をよじらせ、もんどり打つように変化を遂げていく。サナギのなかで変態するあいだ、一斉に細胞たちは死ぬ。死によって生かされる「生」があるということを、三浦さんの動画はまざまざと見せつける。"

NHKスペシャル取材班『人体 ミクロの大冒険~60兆の細胞が紡ぐ人生~』

 

今日も明日も明後日も細胞はせっせと働く。今この時も。細胞によって生かされているのか、はたまた私が生きるから細胞が働いているのか。どちらかは分からないけれど、とても美しいことは確かだ。

明日もよろしく頼む!美しい骨になるその日まで。

 

・Tabibito

あなたが知っているよりずっと世界は広い

そんなことは当たり前に知っている。なのに何故こんなに悩むかって、自分にとって目の前の小さな問題が近くに見ているために大きく見えているから。逆も言える。そちら側からは小さく見えてる物だって、目の前で見ると途方もなく大きいかもしれない。

 

何が普通で何が普通じゃないのかを見失いながらも僕はまだ生きてた

僕はこの街に必要ない存在だと

塞ぎこむだけ塞ぎこんだ日々を逃れ

 

最近はこの言葉たちばかりに頼っている。まだ生きている。サビでは、踊れ踊れと言うけれど私は踊るのが不得意だからそれも出来ない。出来ないことばかりだ。上手く出来ることがない。呼吸することも鼻が悪いから下手くそだ。

人生はあと何年だろう。誰からも必要されないまま生きるには人生は長過ぎる。傷ばかりが生きている証に感じ始めている。それがもう頭のおかしいことで。世界中すべての人に嫌われるんだろう。広い世界だってこの小さい人間のような生物を捨てる。頭がおかしい。頭がおかしい。

 

骨になりたい。骨はどんなやつだって同じ形だ。詳しく調べなきゃ誰の骨なんて解りゃしない。そこが好きだ。大好きだ。

 

・隙間時間

社会人2日目も無事終了し、研修しか行わないからこその早帰りに幸せを感じたりしています。

ぎゅうぎゅうの満員電車は行きも帰りも避けては通れない苦行です。大学1年生と2年生の頃は乗っていましたが、3年生からは1限の授業がなかったので、2年生ぶりの満員電車です。早く身体が慣れると良いなと思いつつ、ここ2日間は本を読みながら、苦行に堪えています。

読んでいるのは1度既に読んだことのある、養老孟司著の『身体巡礼[ドイツ・オーストリアチェコ編]』です。


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特に埋葬方法や心臓の捉え方など、3ヵ国における死生観を綴った本です。

実に面白いです。文章から優しく、しかし強い養老孟司の芯を感じるし、医学博士ならではの豊富な知識に驚きます。養老孟司は医学だけでなく、文学、昆虫などにも詳しいので、文章にもそれらがたまに登場しますが、研究者というのはかっこいいなと思わされることばかりです。興味を持ち、観察し、自分で調べ、結論を出す。この過程は簡単そうでなかなか出来ませんが、きっと彼にとっては当たり前のことなのでしょう。

 

特に好きなのは第2章の心臓信仰です。私は卒業論文で胸とheartについて論じていたので、とても興味深く感じましたし、言語の成立にも関係する面白い章でした。

 

いくつ年を重ねても、探求心を無くさず、活発に過ごしたいものです。養老孟司緑内障であり白内障であり老眼であり、そして何より御年81歳です!!年齢を理由に諦めていられませんよね。

 

さぁ、明日も研修です。少しでも仕事を身に付けられますように。頑張ります。