・土

土の表面は温かく、深く掘るにつれて冷たさを帯びる。深い場所にいくほど水分を含み、手にまとわりつく様な、生命の全てを飲み込んでしまう様な、そんな気がする。

中村文則の『土の中の子供』は何度読んでも私を苦しませ、私に希望を与え、私を作り直してくれる。

 

壮絶な虐待を受け、生死の淵を歩いた彼を可哀想だと思った自分は、なんて烏滸がましく、しかしなんて無力で高飛車なのかと気付かずにはいられない。

抵抗する力もなく土に埋められた彼は、どこに残っていたのか生命力としか言い様の無い力で生き返るのだ。

死ぬことを良いとは思わないものの、死ぬしかなかったと感じていた少年が、何かおかしいと、このままではいけないのではないかと土から必死に逃げる描写は胸が苦しくなる。

引き取られた施設で彼に向かって「それじゃあ思うつぼだよ」「不幸な立場が不幸な人間を生むなんて、そんな公式、俺は認めないぞ。それじゃあ、あいつらの思う通りじゃないか」と自分も虐待などの何らかの苦しみを経験したであろう少年が語る言葉も、そんな風に流れに抗って生きていた少年が数年後に自殺することも、私の心を砕く。

 

何度読んでも何度読んでも、私は以前読んだときから何も変わっていないのだと思い知らされ、だからこそ誠実に生きなければならないと思わされる。死を感じて生を知る。

 

暗い作品?確かに明るくはない。

しかしそんな理由で、これを読まないなんて人生にとって大きな損失だろうな。

 

 

・一文字

去年のNHK紅白歌合戦で観たSuperflyの愛を込めて花束をに感動してからというもの、YouTubeでその曲を聴くようになった。オーケストラの前で色とりどりの花たちの前に立ち、緑のロングドレスの裾を揺らしながらショートカットの似合う笑顔で歌っている彼女は、圧倒的な眩しさだ。

 

この曲の歌詞の一部分に私はいつも惹かれてしまう。"この込み上がる気持ちが愛じゃないなら 何が愛か分からないほど"この一節だ。この一節、"込み上がる気持ち"というところがポイントだ。"込み上げる"ではなく"込み上がる"なのだ。込み上げるだと、自分の意思があるように思える。上げよう上げようと思って込み上げる。しかし込み上がるという場合、自分の意思に反して勝手に上がってきてしまっているのだ。たった一文字の違いで"抑えようとしても勝手に込み上がってきてしまう気持ち"を表すことが出来ている。素晴らしい例だと思うのだ。

 

日本語はたった一文字で、意味を大きく変える。例えば「カメラ、壊しちゃった。」と「カメラ、壊れちゃった。」はどうだろうか。前者は自分が落としたりなどの理由で自分が壊してしまったのに対して、後者はカメラが勝手に壊れたような印象を与える。たった一文字でこれだけの変化をする。

 

気持ちを伝えるには言葉が必要だ。でも実に難しい。難しいけれど美しい。たった一文字も気を抜けないけれど、大切にしていきたいものだ。"これでいい"ではなく、"これがいい"と思えるように、しっかり言葉を選んで日々を過ごしたいものだ。

 

 

・ミクロの世界

昔からミイラには興味があったけれど、いつ頃からだろうか。骨が好きになった。骸骨を見ても怖い気持ちはあまりない。美しいとさえ思う。何故怖くないかと問われれば、私の皮膚と肉を剥げば同じように骨になるからだ。みんなみんな骨になる。

 

生物はガス交換であったり、傷の治癒であったり、脈であったり、意識せずとも生きるための行動をとっている。それは誰に教えてもらった訳でもなく、体が臓器が勝手に働いてくれている。それは普段は気づかないけれど、実はとてつもなくすごいことだ。

かっこうが卵の殻を破って外に出て目も開かないうちに他の卵を巣から落とすように、亀が卵の殻を破って砂を蹴って砂浜まで上がり海を目指すように。誰がそうしろと教えた訳でもないのに、生きるための行動を知っている。これはdnaによるものなのだろうか。

 

本を読んでいると知らないことをたくさん知ることが出来る。遺伝子を詳しく知りたくて読み始めたこの本には驚くべきことばかりが書いてある。

"ショウジョウバエがサナギになるとき、ダンスでもしているかのように、身体をよじらせ、もんどり打つように変化を遂げていく。サナギのなかで変態するあいだ、一斉に細胞たちは死ぬ。死によって生かされる「生」があるということを、三浦さんの動画はまざまざと見せつける。"

NHKスペシャル取材班『人体 ミクロの大冒険~60兆の細胞が紡ぐ人生~』

 

今日も明日も明後日も細胞はせっせと働く。今この時も。細胞によって生かされているのか、はたまた私が生きるから細胞が働いているのか。どちらかは分からないけれど、とても美しいことは確かだ。

明日もよろしく頼む!美しい骨になるその日まで。

 

・Tabibito

あなたが知っているよりずっと世界は広い

そんなことは当たり前に知っている。なのに何故こんなに悩むかって、自分にとって目の前の小さな問題が近くに見ているために大きく見えているから。逆も言える。そちら側からは小さく見えてる物だって、目の前で見ると途方もなく大きいかもしれない。

 

何が普通で何が普通じゃないのかを見失いながらも僕はまだ生きてた

僕はこの街に必要ない存在だと

塞ぎこむだけ塞ぎこんだ日々を逃れ

 

最近はこの言葉たちばかりに頼っている。まだ生きている。サビでは、踊れ踊れと言うけれど私は踊るのが不得意だからそれも出来ない。出来ないことばかりだ。上手く出来ることがない。呼吸することも鼻が悪いから下手くそだ。

人生はあと何年だろう。誰からも必要されないまま生きるには人生は長過ぎる。傷ばかりが生きている証に感じ始めている。それがもう頭のおかしいことで。世界中すべての人に嫌われるんだろう。広い世界だってこの小さい人間のような生物を捨てる。頭がおかしい。頭がおかしい。

 

骨になりたい。骨はどんなやつだって同じ形だ。詳しく調べなきゃ誰の骨なんて解りゃしない。そこが好きだ。大好きだ。

 

・隙間時間

社会人2日目も無事終了し、研修しか行わないからこその早帰りに幸せを感じたりしています。

ぎゅうぎゅうの満員電車は行きも帰りも避けては通れない苦行です。大学1年生と2年生の頃は乗っていましたが、3年生からは1限の授業がなかったので、2年生ぶりの満員電車です。早く身体が慣れると良いなと思いつつ、ここ2日間は本を読みながら、苦行に堪えています。

読んでいるのは1度既に読んだことのある、養老孟司著の『身体巡礼[ドイツ・オーストリアチェコ編]』です。


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特に埋葬方法や心臓の捉え方など、3ヵ国における死生観を綴った本です。

実に面白いです。文章から優しく、しかし強い養老孟司の芯を感じるし、医学博士ならではの豊富な知識に驚きます。養老孟司は医学だけでなく、文学、昆虫などにも詳しいので、文章にもそれらがたまに登場しますが、研究者というのはかっこいいなと思わされることばかりです。興味を持ち、観察し、自分で調べ、結論を出す。この過程は簡単そうでなかなか出来ませんが、きっと彼にとっては当たり前のことなのでしょう。

 

特に好きなのは第2章の心臓信仰です。私は卒業論文で胸とheartについて論じていたので、とても興味深く感じましたし、言語の成立にも関係する面白い章でした。

 

いくつ年を重ねても、探求心を無くさず、活発に過ごしたいものです。養老孟司緑内障であり白内障であり老眼であり、そして何より御年81歳です!!年齢を理由に諦めていられませんよね。

 

さぁ、明日も研修です。少しでも仕事を身に付けられますように。頑張ります。

 

 

・diary

中学、高校生の頃はノートに日記を書いていました。ノートは何冊にもなっていて、読み返すと不思議とその日のことを覚えていました。

例えば、2011年5月27日。高校1年生で、丁度中間テスト初日でした。東日本大震災から2ヶ月と少し。その日から学校のある九段下と、自宅最寄り駅のエスカレーターが震災の影響で止まっていましたが、動き出しました。その日のことも覚えています。次の日のテスト科目が現代社会で、暗記するのに必死だったこと。

2012年4月7日、8日。BUMP OF CHICKENのGOLD GLIDER Tourに2days行くことが出来たことを書いています。この日はライブで前に立っていたお兄さんに、大丈夫ですか?場所変わりますか?など、優しく話しかけて貰ったこと、一緒に行った友人のご家族が車で送り迎えして下さったこと、ガラスのブルースに感動したことを書いていましたが、全部覚えています。

2014年1月8日。初めて恋をした日。もうすぐ塾を辞めてしまう彼の連絡先をどうやって聞けば良いか悩んでいる。(笑)当時の私も今の私と変わらないな。でも教えてあげたいのは、4年後の現在もその人に恋をしていて、連絡先を知っていて、たまに会ってお酒を飲んだり映画を観たりしているってこと。あなたの見る目は間違ってないよ。

 

私は記憶力がよくありませんが、文字に起こしたりしていると、やはり記憶の断片というのは頭にあるようで、当時のことをよく思い出すことができますね。当時の青臭い気持ち、焦り、苦悩、喜び、色んなことが思い出されます。とても学生らしい学生だったように思います。そして、2日に1回はUVERworldBUMP OF CHICKENNICO touches the Wallsの話をしていて、この頃から音楽に頼っていたんだなと強く思います。(笑)

 

今思うと当時好きだったバンドや作家、映画は今でも好きで、当時の好きという気持ちが現在の私の基盤になっているのかもしれません。「三つ子の魂百まで」とは本当かもしれませんね。好きなことはあまり変わっていないです。まぁさすがに3歳の頃の自分の好きなものは変わってると思うけれど。(笑)

 

今日も日記を書きましょう。未来の自分を笑顔に出来るような。

 

 

・牽制、吠える吼える

トマトは勿論夏が旬の野菜ですよね。しかしこの前テレビに出ていた料理人の方は、今の時期のトマトは実はとても美味しいと言っていました。現代の技術ではいつの季節もトマトは美味しいだろうけど、春のトマト?と不思議に思ったものでした。

 

そういえばNICO touches the Wallsのトマトという曲にも春が登場します。

 

春の陽射しは 思ってたよりもブルー

君はもう居ないのに 強がってはにかんで笑っている

 

大好きなASIAN KUNG-FU GENERATIONの海岸通りという曲も、海という漢字は付くものの、曲自体は春を歌っています。

そうが考えると春の歌というのは思っている以上に多いのかもしれません。

 

昨日友人に私が「春休みは気候も良いのに休みだから、まるでクラス替えなどの準備に忙しい先生達のために用意されてる休みのようじゃないか。」と話したところ、「学期の切り替えには毎回休みがあるし、学年が変わるなんて重大だから休みがあって当然だろう。」と返されてしまいました。そこから、きっと春は大人も子どもも同じように期待と不安のワンセットを持っている時期で、大人も子どもも同じように想うことが多い時期なんだろうなと感じました。だから多くの曲が生まれるし、春を歌った多くの曲が胸に響くのではないでしょうか。 

 

さて、昨日は去年と同様川沿いの桜を観に行きましたが、今年はケバブをゲット出来ました!去年食べたかったのに食べられなかったから。屋台で蚊の話をしながら食べてビールを飲んで幸せな時間でした。最近精神と自律神経の病気だと判明した彼。一緒に居る時はいつも通りで政治家やコメンテーターの悪口を吠えていて、隣で寝ている時もよく眠れているように見えたけれど、いつか目の下の濃い隈が取れる日が来るように願っているよ。それまで変わらず、たまに会って話してお酒を飲んで笑って、また色んな悪口を聞かせてよ。

 

あれがない これもない どんな希望も叶えたい欲張り そんな僕らの足りない物だけ そっと包むように 

夕凪の最後には 優しく揺らぐ風

海岸通りに春が舞う